「ミナノと不思議なおだやか③」
「ここがヲヲッカさんの研究室ですか?」
「うーん、確かそのはず」
目の前にはこれでもかというくらい真っ白な建物がたたずんでおり、その真正面で私たちは研究室かどうかを確認しながら入る準備をしていた。
準備をしながらふっと横を見ると、ユリカさんが銃のようなものを確認しているのを見て気になった私は声をかけてみた。
「あ、あの、ユリカさん」
「何?」
「それは一体な、何ですか?銃のように見えるのですが……」
その質問を聞いたユリカさんは「あー、これはねー」っと軽く相槌をうってから口を開く。
「これはアルペジオ。ロイドが私のために作ってくれたんだよ…..」
「ロイドさんって……さっきお腹が空いて動けなかった人ですか?」
「そう。この銃はあたしにとってとても思い入れがある銃なんだ…..」
顔をうつ伏せたままゴム弾を詰め込み終わったユリカさんは「さ、いくよ」と言って目の前の扉を開いた。
扉を開くと同時に流れ込んできた薬品の匂いに一瞬「うっ」とうずく。
中は薄暗くぱっと見ではよく見えなかったけど、目を凝らして見てみるとよく分からない薬品がずらりと並んでいた。
強烈な薬品の匂いをなんとか我慢しながらあたりを見渡すと、奥の方でゴソゴソと動く影が見えた。
足下に注意しながら近づくと、あちらの方がこちらに気がついて声をかけてきた。
「む、ユリカくんに……君は?」
そう尋ねられた私は一瞬戸惑いながらも自分の名前を告げる。
「あ、あの私はミナノっていいます!あなたがヲヲッカさんですか……?」
「え?ああ、確かにおれがヲヲッカだけど。おれに何か用事でも?」
「えっと……」
「ヲヲッカ!!」
私が続けて質問しようとした瞬間、ユリカさんの声で私の声はかき消されてしまった。
突然大声で名前を呼ばれたヲヲッカさんが「なんだい?」と聞くと、ユリカさんはキッとした目つきのまま口を開く。
「ヲヲッカ、アンタは今この街で何が起きているか知ってる?」
「この街で起きていること……?それってもしかして謎の性格改変を起こしておだやかになってしまった人たちのこと?」
「そう……やっぱり知ってたのね。なら話は早い!」
そう言うとユリカさんは銃口をヲヲッカさんへ向ける。
それを見たヲヲッカさんは驚き慌て、私は止めに入ろうとしたけどユリカさんに睨まれた瞬間何も言えなくなってしまった。
「ま、待てユリカくん!まずは落ち着いて、その銃口を降ろして…..」
「あたしはアンタがディミヌと怪しい顔して話をしているのを見たんだ!あんたが怪しい顔して話をするなんてきっと何か企んでいるに違いない!」
「え、ちょっと待って⁈確かに3日前くらいに話はしていたけど、それだけで犯人って決めるのか⁈」
「それだけで十分犯人でしょ⁈大体科学者が怪しい顔して話する時は事件を起こす犯人だっていうフラグなんだよ!」
「ちょっ、それは偏見すぎるよ⁈ドラマとかの見すぎだよ!それにおれはあの時ディミヌくんとヴィオくんのキッチンについて話をしてたんだよ!」
「……え?キッチン?」
その言葉を聞いてやっとユリカさんの口が閉まった。
興奮していたユリカさんは息を荒くしながらも、今だ銃口はヲヲッカさんに向けたまま前を見つめていた。
ヲヲッカさんはユリカさんを再び興奮させないように細心の注意を払いながら、再び口を開いた。
「実はあの時ディミヌくんがいつものようにおれの携帯端末に入ってきたから軽く追い払おうとしたんだけど、ヴィオのキッチンには裏メニューがあるかもしれないという情報を持ってきたからその話をしていたんだ」
「ヴィオのキッチンの裏メニュー……そ、そんなことを話して……」
そう呟くユリカさんの口元にはうっすらとよだれらしきものが垂れていた。
なんだかそんな姿のユリカさんを見ていられなくなったので視線を逸らすと、ヲヲッカさんはヲヲッカさんで「そんな怪しい顔してたかなぁ……」っと呟いていた。
そんなどうしたらいいか分からない空気の中私がもぞもぞとしていると、突然「ユリカサマー!!」と
いう大きな声が部屋中に鳴り響いた。
ハッとしたユリカさんが驚きながらも携帯端末を取り出すと、「タイヘンですユリカサマ!」という声が聞こえてきて、そこでやっと声の主がデコさんだということが把握できた。
「どうしたのデコ?今忙しいんだけど」
「ソレがタイヘンなんですヨ!」
「だから何が大変なの?」
「す、スグそこマデおだやかニなった人たちガ迫ってキテるんです!!」
「ええ⁈それ本当⁈」
そうユリカさんが叫んだのと同時にドゴォっという何かが破壊された音が部屋中に鳴り響いた。
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこにはおだやかな顔つきで中に入ってくる群集が見えてしまった。
それを見たヲヲッカさんが咄嗟に叫ぶ。
「な、おだや化した人たちがこんなところまで……⁈」
「しょうがない、下がってて2人とも!!」
そう言うとユリカさんはアルペジオを構え銃口をおだや化になった人たちに向けると、ゆっくりと引き金を引く。
パンッという音とともに真っ直ぐに飛んでいったゴム弾は、風を切り裂く音を鳴り響かせながらおだや化した人の1人に着弾した。
着弾した弾は当たった人もろとも真っ直ぐ前へ前へと突き進んでいき、やがて見えなくなってしまった。
ユリカさんはその様子を確認すると、先ほどと同じように銃を放ちながら後ろへと後退して行く。
私は銃を放ちながら下がるユリカさんから離れないようにしながら、後ろ後ろへと一緒に下がって行く。
ある程度まで下がってゆくと、背後に裏口があることに気づいたユリカさんはその扉を蹴破り出口を確保した。
急いで脱出しようとした瞬間、私はヲヲッカさんがまだ部屋の中央にいることに気がついた。
「よし、これでここから脱出できる!逃げるよミナノ!」
「まっ、待ってくださいユリカさん!まだ中にヲヲッカさんが……!!」
「え、ヲヲッカ?何やってんのあいつ⁈」
そんな会話をしてる間に、いつの間にかヲヲッカさんはおだや化になってしまった人たちに囲まれてしまっていた。
「ど、どうすればいいんだ…..なぜ皆がこうなったのか研究したいがそれ以前に今のおれは非常にピンチだ……どうする…….」
青ざめた様子でそう呟くヲヲッカさんは何を思いついたのかふっと目を閉じると、ゆっくりと口を開いた。
「そうか……逆に考えるんだ。おだやかになっちゃってもいいさ……と」
「ヲヲッカさん!!」
私は諦めた様子のヲヲッカさんの名前を咄嗟に叫ぶ。しかしその声は無残にも届かず、「オダァッ‼︎」っという悲鳴とともにヲヲッカさんは人に埋れて見えなくなってしまった。
「ヲヲッカさん!!ヲヲッカさん!!!ヲヲッカさ……..」
「やめようミナノ!それよりも今は走って逃げるよ!!」
直後私は手を引かれ、おぼろげに見える目の前の光景を見ながらただ足を動かし走っていった……
「大丈夫ミナノ?まだ動けない?」
「……」
「……それならもう少し休んでから」
「だ、大丈夫です。もう落ち着きましたから……」
そう強がって言ってみたものの、まだ内心ではドキドキが止まらなかった。
ヲヲッカさんまでああなってしまった今、これからどうすればいいんだろう……その思いだけがどんどん積み重なっていく。
これでは身を呈して守ってくれたジュウドさんにとても顔向けできない……
そんなことばかり考えていると、手を優しく握られている感覚が伝わってきた。
驚いて顔を上げてみると、そこにはニカッと笑うユリカさんの姿があった。
「ユリカ……さん?」
「ミナノ、こんな時こそ暗い顔してないで笑おう?俯いてたって何も変わらないよ。それならいっそ笑ってでも何かした方がいいんじゃないかな?」
「…そ、そうですね……確かにその通りですよね」
「でしょ!まだ希望がないわけじゃないんだし頑張ろうよ!」
「ユリカさん…..!!」
そうだ、まだ終わったわけじゃない。まだ何か方法があるはず。何か方法が……
私が頭を抱えて何かないか考えていると、ユリカさんは携帯端末を取り出し、デコさんの名前を呼んだ。
その声に反応したのか、突然携帯端末のバイブで端末が揺れ動く。
「やっぱりいた!絶対まだここにいると思ってたよ!」
「アチャー、ばれちゃいマシタカ!このままツイテ行こうトおもったのデスガ……」
「それは困るな。できればデコにはメカノアートに残って欲しいんだ。まだ街もこんな状態だし……」
「ウムム、分かりマシタ。非常事態デスカラ止むをえませんね。デモ無事にカエッテキテくださいよ?」
「分かってるって!」
「あ、あのユリカさん?ここからどこかに行くんですか?」
「うん、まだ希望があるかもしれない町に行くんだよ!」
「そ、それって一体……?」
そう聞かれたユリカさんは大きく息を吸い込むと、ジェット機にも負けないような大声で思い切り叫んだ。
「血の気の多い人たちがたくさんいる町、ムーンホールに!!」
つづく。