【小説】荒れた魔術書 第1話 断罪と共に

サッサッと箒で床を撫でる球体がいる。
暗めの色調の布と灰色に変色した包帯を巻いた衣装で肌を隠す男。
名はアディス。

床を粗方掃いた後は箒を掃除機に持ち替え、魔力を流し込まれた掃除機は静かな音を立てて起動した。

箒で取り零したゴミを徹底的に取り除く。
ひとしきり床の掃除を終えた後、衣類・書誌用のノズルに変えて、本棚にギッシリ詰まった書物の隙間の一つ一つを丁寧に撫でる。

「おや?こんな本ありましたっけ?」
アディスはそう呟くと掃除機を停止させ床に置き、彼の興味の対象である物を手に取った。

「これは…魔術書のようですね。こんな本ありましたかね?」
パラパラと紙の束をめくる音が聞こえる。
彼の難しい表情は更に難しい表情へと変わった。

「全部白紙のようですね。」
彼はそう呟くと先程まで彼が興味を抱いていたソレを本棚へと戻し、再び掃除を始めた。

……程なくして、アディスは掃除機を片付け「よし。掃除終わり。こんな物で良いでしょう。」
と言い、彼は先ほど掃除をしていた部屋が配置されてある建物から街中へと出掛けた。

そこは陽の光を浴びる事なく硬い岩盤に覆われており、点在してある街灯が街をポツポツと照らしている。
全体的に気温は低めで、街全体に毒素が漂っている。
地上のどことも関わりを持たず、この地中のみで完結し得るほどの経済力を持つ地底の大都市。
それがこの街『アンダーハーデス』。
アディスはここの市長を務めている。

彼は自身の手に余るものを欲することもなく、他の者を妬むこともなく、市長としての責務を務め、権威で民を魅了することも無し。怒りで身を滅ぼす事もなく、決して傲れる事もなく、民を貪り喰らう暴君でもない。

彼は立派に市長であった。

故に民からの信頼も厚い。
それは彼を観察すればわかることであろう。

彼は街を歩いて始めに出会った住民に話しかけられた。
彼女は黒いローブを身に纏い、焼けた半身には大きなレンズが装着してある。
この街で薔薇を育てる日々を過ごす貴婦人、カルティーである。

「あら市長さん?これからお散歩。」

「ええ。住民達がこの街で満足に生活をしているのかを直接見るのも市長の役目ですから。」

「あらまぁ献身的な市長さんね。そうだわ。これからティータイムなの。市長さんもご一緒しない?」

「ありがとうございます。ですがお気持ちだけいただきます。」

「あら、そう。お忙しい時に呼び止めてごめんなさいね。」

「いえいえ。今度はお互いの都合が良い時にでも。」

アディスはそう告げその場を去った。

彼は街の視察を続ける。
大通りに差し掛かった辺りで路地から子供の声で彼を呼び止める者がいた。
「市長。コンニチハ。」

アディスは声の主の方へ振り向くと
「こんにちは。ヴァールさん。」と返事を返す。

アディスに話しかけた少年はヴァールハイト・ナイーフ。
青い外套を身に纏い、大きな帽子には文字が刻まれたプレートが縫い付けられている。
影の魔法を得意とする魔法使いの少年。
彼の口から発せられる言葉は全て真実である。

「影魔法の研究ですか?」

「違ウヨ。ゔぁんでるんデ、影カラ影ヲ移動シテ散歩シテマシタ。マタネ市長。」

ヴァールは市長に別れを告げどこかへと消えた。

市長は視察を続ける。
大通りを歩いていると向こうからアディスを呼ぶ二人分の声が聞こえた。

その内の一人がこちらへ駆け寄り
「しちょー!やっぱしちょーだ!」と話しかける。

この片言気味に話す彼は、緑の炎が絶えず燃え続けるマフラーを身に纏った右手のない少年。
彼の名は銅(あかがね)。
今はのほほんとした雰囲気を醸し出しているが、実は副市長を務めている。
しっかり者でアンダーハーデス思いの少年だ。

「やぁ。市長。奇遇だね。」

もう一人の声の主はトワイライト。
ツノと羽が生えており、ヤギのような眼をしている。そしてまるで人間の手の骨格のような手を持つ彼は死神らしい。

二人の挨拶を聞いたアディスも
「こんにちは。二人とも。今日は一緒にお出掛けですか?」
と声をかける。

それに対し彼らも返事をする。

「そうだぜ。トワイライトの野郎、少女漫画買いたい買いたいうるさいから仕方なしに付き合ってる!」

「だって、どうしても欲しい漫画があるのだけど、スイーツ巡りしてたせいで今月ピンチだから銅君に頼るしかなかったもん。」

「やれやれ…ですね。トワイライトさんはきちんと銅さんにお金を返してくださいね。」

「返さなかったら、てんしょーケーキバイキング連れてってやる!」

「返すよ!返すってば!」

銅の冗談に取り乱すトワイライトを他所にアディスは視察を続けた。

大通りを進むと店の看板の影に下半身がめり込んでいる紫色の球体がいた。

「何してるんですか?闇光(やこう)さん。」
アディスはそんな彼に思わず声をかけてしまう。
すると闇光と呼ばれた男がこちらへ振り向いた。

彼の風貌は額にX字の傷があり、シンプルなデザインのローブを身に纏っていた。
ローブからキノコが生えてる気がしたが気のせいだろう。

「市長か。いや、なにも怪しいことをしていた訳ではない。店の前に良い石があってな。思わず石と同じ目線になって観察していたんだ。」
闇光はそう告げ、再び石の観察を始めた。

「そうですか…。店主に不気味がられる前に引き上げてくださいね。」

半身埋まっている闇光に忠告し、アディスは再び視察を続けた。

大通りと大通りの交差点の角地にはアンダーハーデス内で、ある意味有名なケーキ屋がある。

そのケーキ屋の厨房で黒い物体をこねていた男がアディスの元へと向かう。

「よぉ。アディス。俺の新作ケーキ食べてけよ。」
男はそう言い、真っ黒い煙を噴き出している肉塊のような物体を差し出しきた。

「いえ、今は視察中なので遠慮します。」
アディスはそのケーキを強引に突き返しながらその男の誘いを断った。

「そうか。手間ァ取らせてな。」
男は後頭部を搔きむしり、そのケーキ(?)を冷蔵庫へと放り込んだ。

この男の名前は天照(あまてらす)。
黒い翼と黒いツノが生えていて頭上には黒い輪っかが浮いており、右目には六芒星の紋章が刻まれている。一番の特徴は凶悪な顔をしていることだ。

元は神(?)に仕えていたのだが、ある事を境に堕天し、このアンダーハーデスに行き着いたそうだ。

「それにしてもクソッタレなぐらい平和な世の中だなぁ。巨大な隕石やゴルドーが地上に落ちてきたりしねぇかな。」

「そういえば最近地上の”粗末”な天体望遠鏡が巨大な彗星を観測されたそうですよ。」
天照が退屈そうな顔をしてたからなのか、アディスは今朝アンダーハーデスに迷い込んだ地上の民から取り上げた新聞紙を見せながらそう言った。

「『計算をした結果、その彗星が惑星に直撃する危険性は無い。』…はっ!しょうもねえ話だぜ。ただの流れ星じゃねえか。」

「地上も地底も互いに干渉せず平穏なのが良いのですよ。」

天照はそういうもんかと言いケーキ屋の厨房へと戻った。

視察を終えたアディスは出かける前まで掃除をしていた部屋のある建物…『役所』へと戻った。

役所のロビーの傍にあるソファーでくつろいでいた無愛想な表情の球体がアディスの姿を見ると一瞬笑顔を見せて駆け寄った。

その球体は軍帽を被っており、ツノが生えている。黒い外套を見に纏っており、外套先端には二又に分かれた布があり、それがフワフワ浮遊している。
男と言われれば男であり、女と言われれば女である。そんな中性的な顔立ちの球体だ。

「よぉ。市長。お疲れさん。」

「こんにちは。天城さん。」

「おう。市長が見回りしてたから知ってると思うが今日もアンダーハーデスは平穏そのもの。不審者や地上から迷い込んできた奴は今朝保護した分で全員だ。」

天城という男はアンダーハーデスのセキュリティを管理している。
彼の使い魔である黒い蝶が街中を羽ばたき、何か異常があれば天城の元へと通達が来るという仕組みだ。

「そう言えば。市長。その手に持ってる物は何だ?」

「えっ?」

天城の発言でアディスはようやく自分が今抱えている物に気付く。
それは、掃除中彼が抱いていた興味の対象である…
「魔術書…。なぜ?本棚に戻したはずなのに。」

「寝ぼけてた…わけでもなさそうだな。市長に限ってそんなことはないし。それはそうと、その魔術書の処分。私がやろうか?」

困惑していたアディスだったが、天城の提案で平静を取り戻し「大丈夫だ。」と言わんばかりに首を横に振った。

「キャァアーーー!!!!」
「うわっ!!」「逃げろ!!!!」
「いやぁーーーー!!!!!」
「なんだこれ!!?」「こっち来るな!!!」
「ひぇー!!!」「どけ!!!どけ!!!」

突然、街中で住民たちの叫び声が聞こえたのでアディスと天城は役所を出てみる。

巨大な魔法陣が街中の地面全域を覆っている。

その光景を目の当たりにし、アディスと天城は呆然としていると…その魔法陣から黒い霧がドッと放出される。
住民達は黒い霧…いや『闇』から逃れようと街の出口へと集まるが、そのことごとくが闇に呑まれてしまう。
そしてついには役所を除くアンダーハーデス全域がその闇に包まれてしまった。
役所に残ったわずかな職員が様子を見てくると、その闇の中へと向かったが誰一人として戻って来なかった。

「そん…な…。これは一体…。」

「市長!!今、ここに留まるのは危険だ!!!役所の裏口から地上へ出るぞ!」

ただ呆然とするアディスの手を天城が引き、役所の裏口から地上へと続く道に逃げる。

その道中で、アディスが抱えていた物が腕から抜けてしまい…
「魔術書が…!!!」
アディスは一瞬拾いに行こうとしたが、闇がすぐそこまで迫っていたのか、天城と共に地上へと駆け抜けた。

暗い暗い道から一転。
陽射しがアディスと天城の二人を刺す。
アディス達の眼光には雄大に広がる青々とした平原が映っていた。
「忌々しい地上…。まさかこんな形で出る事になるとは…。」
アディスはポツリと言葉が溢れた。

そう、ここは地上。
アディスが忌み嫌う世界である。

闇は地上までは出ておらず、皮肉にもアディスが大事にしていた地底のみを呑み込んだのだ。

「「「「「「市長!!!!」」」」」」

アディスを呼ぶ6人分の声が聞こえた。
その声の方へアディス達は振り向くと、カルティー、ヴァール、銅、トワイライト、闇光、天照…先ほどまでアディスと話していた6人の住民が手を振っていた。

その光景を見たアディスが
「皆さん…。無事でしたか…。」
と安堵の気持ちを漏らす。

しかし地上へと辿り着いたのはアディスと天城含めたったの8人。
闇を振り払おうと、影の魔法を打ち込んだり、風を起こしたり、陽の光が直接当たるよう地表を抉ったりしたが、如何なる方法でも闇は消えなかった。

フローズンカンティネイトから来る北風が平原を撫でる。
草木はザワザワとざわめく。

自身の故郷、自身の街、自身と共に暮らしてきた人々を突如として失った8人のアンダーハーデス民達。
彼らもまた心をざわめかせていた。
涙する者、苦悶の表情をする者、怒りに燃える者などがいた。

しかしアディスのみは違った。
アディスは残った7人に告げる。

「アンダーハーデスは……終わりです…。明日には新たな生活の基盤となる住居を提供します。皆様はそこで平穏に暮らしてください。」

淡々と”次”の事を話すアディス。
今は悲観に浸ってる場合ではない。生き残った住民達の生活を整えることが大事であると判断したのだ。

しかし、それを聞いた天城が
「ふざけんじゃねえ!!!!!!」
とアディスの胸ぐらを掴みかかり怒号を浴びせた。

しかしアディスはその彼に対し冷静に返す。
「怒るのは当然の事でしょう。あなた達の生活、財産を迫り来る闇から守りきれなかった。私の不手際です。この事は私が責任持ってアンダーハーデスを取り戻し…」
「違う!!!!私が怒ってるのはそんな事じゃない!!!!なんでお前はそうやっていつも私に助けを求めず、一人でことを成そうとするのだ!!!!!!それに、街を取り戻すなんて…闇から逃げることしか出来なかったお前、たった一人で出来る訳が無いだろ!!!!!????もっと!!!!私を!!!!!!!頼れぇ!!!!!!!」

天城は何もアンダーハーデスが壊滅した事に対し怒ってはいない。
一人でこの問題を抱えこもうとするアディスに対し怒っていたのだ。
その気持ちは天城以外に他の住民達、共通のことだった。

「しちょー。大事にしてるアンハデ。俺も大事だから!!!!」
「そうよ。みんなで取り戻しましょ。」
「それとも何だ?俺たちのことが信用出来ねぇってか?」

アンダーハーデスを取り戻したいという願望。
天城、ヴァール、カルティー、銅、トワイライト、闇光、天照…全員がその願望をアディスにぶつけた。

「皆さん…。………ここから先はアテもなく、終わりが見えない旅になります。それでも…ついてきますか?」
アディスのこの問いに意味はない。
何故なら住民達の答えは既に決まっているのだから。

こうして、住処を失い地上へと抜け出した8人のアンダーハーデス住民達によるアンダーハーデスを取り戻す旅が始まったのであった。

「ソウイエバ…市長ガ、持ッテルヤツナニ?」
ヴァールの素朴な疑問を機にアディスは自身の脇に何かが挟んである事に気付く。

「おかしいですね…魔術書はあの時、闇に呑まれたはず…」
アディスは自身の手元に度々戻ってくることに対し不思議に思った。

すると…
「おい!魔術書が光ってるぞ!!」
天城がそう話す数秒前には既に青白く光らせており、誰も触れることなく自力で表紙を開いてみせた。

「文字が書いてあるが…読めない…。ヴァールは?」
「僕ニモ読メナイ…」

アンダーハーデスの住民は魔術に精通しているものが多い。
それぞれが違う分野の魔術の研究をしている。

だが、誰一人読むことができない。

しかし、ただ一人アディスのみ読むことが出来たのだ。

「『贖罪せよ…贖罪せよ…七つの罪よ…
戒めの刃を以って…断罪を…
七つの罪の贖罪により…原初の地にて永遠の安寧が訪れん…
見境なく喰らいしモノ、責務を放棄する者、理想叶わぬと嘆くモノ、全知を欲するモノ、曝け出し魅了する者、賢者は己のみと傲る者、望まぬ未来を認めぬ者…
贖罪せよ…』と書いてますね。」

「市長。わかるのか!?」

「ええ。天城さん。しかし、妙ですね。この魔術書の文字。見たこともないはずなのに、何故かスラスラ読めます。」

アディスはそう言いながら2ページ目、3ページ目と次々と開く。
「2ページ目にも文字がありますね…3ページ目以降は白紙のようです……」

天城はある事に気付き、考え着いた予想を全員に話す
「突然手元に戻ったり、このタイミングで文字が浮かび上がったり、きっとこの魔術書がアンダーハーデスを包み込んだ闇を取り除く鍵なんだ!!!!『原初の地にて永遠の安寧が訪れん』って書いてあったし!!!」

それを聞いた天照は肩に掛けていた鎌を床に突き刺し
「ようは『七つの罪』とやらをぶっ飛ばせば良いってことか。血肉轟くな…。」
と凶悪な笑顔で話す。

陽が落ち、夜が訪れようとする夕暮れ時に突如上空から轟音が聞こえる。
アディス達が空へと目を向けると上空を切り裂くように巨大な彗星が太陽が落ちた方向からやって来るのがわかった。

昼間に天照と話していた巨大彗星なのだろうか?

アディス達の旅に祝砲を揚げるかのように、巨大彗星は彼方へと消えていった。

「綺麗ね。市長。」
「ええ。地上が見せる景色にしては及第点でしょう。」

誰もが感動するその光景だが、たった一人あの巨大彗星に不吉な予感を感じている者がいた。
しかし、その事を言及するのは野暮だと思ったのか、天城は心の中に秘める事にした。

巨大彗星が過ぎ去るのを見て銅がある提案をした。
「そうだ。とりあえずあの彗星が向かった方向へ行こう!」

その提案を聞きトワイライトは微笑み、頷きながら
「いいね。あの方向にはムーンホールがある。
距離もここからさほど遠くないし、とりあえず一晩過ごすには良いんじゃないかな?」と言った。

アディスは地上の街で寝るのは癪だと思ってたが、帰るべき場所がない今は地上に頼るしかないと思いアンダーハーデス住民全員でムーンホールへと向かう事にした。

こうして彼らの旅が始まるのであった。

そして”私”は今は遠いところから君たちの旅を見守ることにしよう。

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