【小説】ツキウガチ 第5話

 俺は…昔からついてない。
 軽い怪我をするような事から、命に関わるような事まで、大小は様々だけど嫌な事はよく自分に降りかかっていた。
 自分は何もしてないんだっているかも分からない神様に訴えても、返ってくる答えはいつだって〝不幸な出来事〟だった。
 そんな日々が続いて、気がつけば幸せな生活からは遠ざかっていた。家族と笑い合う生活も、愛し合うような恋人も、今が楽しいんだって感覚も…なかった。あるのはいつだって、ひとりぼっちでいる寂しさと、虚無感だけ。
 だからこれ以上…堕ちるような事なんて、心がズタボロになる事なんてないと、そう…思っていたのに……

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「……」
 頬を伝う涙に目を覚ます。
 俺は…どうしていたんだっけ?

 ポタポタと溢れる涙を腕で拭い、ゆっくりと起き上がろうとした瞬間、身体中に激痛が走る。
 ああ、そうか。今の痛みで思い出した。俺は…主に負けて、麗に傷を負わされて……
「…!」
 そうだッ、天照は?!俺以上に重症だったはずだ。早く傷の手当てをしないと……!
 痛みに耐え辺りを見渡したところで、やっと周囲の奇妙な景色に気がつき驚愕する。
 見渡す限り一面白黒な世界。いや、これは部屋と言った方がいいのか。タンスや机など、どこにでもありそうな家具が四方八方に取り揃えられていたこの場所は、姿形こそ普遍的な部屋だが、その全てがモノトーンで描かれていた。
 それだけでも驚きなのだが自分の体に視線を移すと、ご丁寧に包帯が巻かれ完璧に治療が施されており、真横まで首を曲げると隣のベッドでは同じように包帯を巻かれた天照がぐっすりと眠っていた。
「どういうことなんだ…?」
 状況がさっぱり分からないが、一つだけ分かった事がある。それは…
「俺たちを看取ってくれた人がいる…」
 でもここはあの主の世界。あれだけ冷たくしといて、やっぱり傷を治してあげますなんて話は都合が良すぎる。
 となると、これは罠に違いない。俺たちを油断させて、トドメを刺そうって根端だろうがそうはいくか。
 今だ痛む身体に鞭を打ち起き上がると、自由がほとんど効かない足を引きずりながらドアノブに手を伸ばす。
「待ってろよ、天照。今俺がここから出る方法を探し出してやるからな…」
 そう言って自分を鼓舞しドアを開こうとしたところで、手も触れていないのにガチャリとドアを開く音が鳴り響く。
 ギョッとするのと同時に、目も口も何もない顔面まっさらなのっぺらぼうが俺の前に現れ、さーっと血の気が引いていくのを感じる。
 やばい、早速誰かに見つかっちまった。というより、こいつ顔がない!や、やべえよ…絶対やべえやつだよ、こいつ……
 ぺたりと尻餅をつき無様にも後ずさりをしていると、目の前ののっぺらぼうに「あの…」と声をかけられる。
「目が…覚めたんですか?」
「え、あっ、えっと…」
「あ、驚かせてしまってごめんなさい。でもあなたに危害を加える気はないので、落ち着いてください」
 お、落ち着いてとそんな表情の読めない顔で言われても困るんだが…?!
「と、とにかく俺に構わないでくれ!俺はお前なんかにやられるわけには……」
 と言いかけたところで、お腹に裂かれるような痛みが走るのと同時に視界がぐにゃりと歪む。
 うっ、ぐっ……こんなところで本当に終わってしまうのか………!
 痛みに耐え切れず地面に吸い込まれるように倒れこむ。ひんやりとした感触が背中に伝わり、同時に意識も深い谷底へと落ちていく。
 くそっ……

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「…はっ」
 な、なんだ、今のは……夢か。
 ふう…びびった。ま、まあそうだよな、夢だよな。あんな現実離れした光景が実際にあるわけが…
「おはようございます。大丈夫ですか?本当に」
 …夢じゃなかった。ちくしょう。
 ふかふかのベッドにまた包まれている事に気がつきおそるおそる横に振り向くと、ついさっき見たのっぺらぼうが何を考えているのか分からない顔でこっちを見ていた。
「心配しましたよ。傷口が開いていましたから。でももう大丈夫です。傷口はきちんと塞いでおきましたから」
 傷口…?
 その単語を聞いてお腹のあたりをさすってみると、触るたびに少々痛むが裂けるような大きな痛みは感じなかった。
 そうか、さっきはそれで……
「あー、えっと…とりあえずありがとうな。お前が…治療してくれたんだよな?」
「そうですよ」
「じゃあ、お前は俺たちの敵では…ないんだな?信じていいんだな?」
「敵…?何を言っているか分かりませんが、それなら答えはノーですね。仮に敵対する者なら傷の手当てなんてしませんよ」
「そう…だよな。うん。疑ってしまってすまない。ということは、横のベッドで寝ているやつもお前が治療してくれたんだな?礼を言うよ。ありがとう」
 それなら失礼な事をしたなと思いつつも、ぺこりと頭を下げる。てっきり主の手先かと思ったけど…どうやら違うようだ。
 のっぺらぼうは俺の言葉に照れ臭そうにしながら席を立つと、ご飯を持ってくると言い残して部屋を出て行く。
 ここがどこなのか、それはまだ分からないがとりあえずしばらくは安心して休息を取っても大丈夫そうだ。
 そう決めて相変わらず奇妙な部屋をジッと見つめていると、さっきののっぺらぼうがお膳を運んで来てくれたので、有り難く頂戴する。
 体がエネルギーとなるものを欲していたからか、ご飯がとても美味しく感じる。いや、これ普通に美味いぞ…!料亭を開いてもいいレベルだ。
 あまりに美味な料理の数々に箸を止める事なく食事を終えると、手を合わせ「ごちそうさまでした」と感謝の意を表す。
「どうでした?お口にあいましたか?」
「いやあ…もう感想なんて言えないくらい美味しかった……」
「それなら良かったです」
 相変わらず顔からは読めないが、仕草から嬉しそうにしているのが分かる。
「そういえば、まだお前の名前を聞いてなかったな」
「名前…ですか?」
「ああ」
 そんなに難しい質問をした覚えはないのだが、のっぺらぼうは「うーん」と頭を悩ませ、口を開く。
「僕には名前なんて…ありませんよ」
「名前が…ない?」
 名前がないやつなんているのか…?あ、いや、ここは絵本の中だからあり得るのか。
「あ、でも周囲からは〝しろ〟って呼ばれてます。しろって…」
「……?」
 何故か周囲からの呼ばれ方を言うだけなのに、その声はか細く口籠る。もしかして、その呼ばれ方が嫌だとか…?まあ全身真っ白なのっぺらぼうだし特徴はよく捉えていると思うが…
 とりあえず呼び名がないというのも困るので、多少気になりつつもしろと呼ぶことにした。相手もその呼称で問題ないというので、しばらくそれでいくことにする。

「さてと、これからどうするかな…」
 お膳を片付けに消えたしろのいない空間で、ぽつりと呟く。
 今は確証がないのだが、ここもおそらく絵本のお話のうちの1つなのだろう。となれば必ず出口が存在するはず。…今まで通りなら。
 でも今は主がわざわざ陥れたお話の中にいるというのが問題だ。永遠のお別れを告げるということは、ここから出す気がないのは聡明。となると出口がない可能性のが高い。
「うーん」
 詰んでるな。これ。
 どの道俺も怪我で大して動けないし、天照もまだ眠りから覚めていない。何かをするにしても…時間が必要だ。
 とはいえ、このまま何もしないっていうのもなぁ……
 どうしようか顔を手に乗せて考えていると、しろが車椅子を持って部屋に戻ってきた。
「ん…?車椅子?」
 どうしてそんなものを持ってきたのか分からず首を傾げていると、しろは俺にかかっていた布団を引っ張り返して無防備な俺の体をひょいと持ち上げると、車椅子の上に優しく降ろす。
「え、ちょっ……?!」
 わけもわからず困惑していると、しろは真っ黒なローブを身に纏い目元以外を黒く染め上げて背後の補助の取手を握りしめる。
 その様子を見た俺は、慌てて口を開く。
「ちょっと待った!いきなり何してんだ?!」
「何って…ずっとベッドの上では退屈でしょうから、街を案内させて頂こうかと」
「街の案内…?」
 そりゃあまあ、俺もどうしようか考えていたから願ってもいないことだけど……
「でも急すぎやしないか?びっくりしたぞ」
「あ、すみません……久しぶりの来客だったもので嬉しくて、つい…」
「まあいいや。案内よろしく頼む」
「はい!」

 しろは今日一番の声で元気よく返事をすると、俺を乗せた車椅子をゆっくりと前進させる。
 廊下に出て玄関を潜り抜けると、一面白黒な世界は外にまで広がっていた。部屋の中だけかと疑問に思っていたが、もうこれはここがそういう世界って事で確信してよさそうだ。
 カラカラと回る車輪の音に酔いしれながら、心地の良い風を体に突き抜けさせてゆく。
 車椅子なんて滅多に見るものでもないし乗った事なんて一度もなかったが、乗り心地は悪くない。
 新しいものを次々に体験し心を躍らせていると、いつの間にか人が賑やかな通りに踏み入れていた。
 意気揚々とお喋りをする人たちは皆顔がなく、体色はしろとは違いみんな真っ黒だった。これだと差し詰め〝くろ〟って感じだな。しろと同じように呼び方を合わせるなら、だけど。
「よう、あんた見かけない顔だな。どうだい、茶でも飲んでいかないかい?」
「んえ…?」
 突然生きのいい店主に声をかけられて、情けない声を漏らす。
「お茶か…でもお金持ってないしなあ」
 懐から痩せ細った財布を取り出しぶんぶんと降るが、見事に小銭しか出て来ない。案の定諭吉も野口も外出中のようだ。
「すまねえな、お金がないんだ」
「そうかい…」
 俺が申し訳なく断りを入れると、店主はガックリと肩を落とす。悪いな、ないものはないんだ。
 軽く頭を下げてその場を去ろうとした時、店主が不思議そうにこちらを見て口を開く。
「なあ、あんた。1つ聞いてもいいかい?」
「なんだ…?」
「あんたって、白なのか?それとも黒なのか?」
「…はい?」
 白か、黒か…だと?どういう意味だ……?体色の話か?
「えっと…どっちでもないと思うけど……」
「どっちでもない…だと?」
「ああ。まあ、見たまんまだと思うが…」
 俺の体色はソーダ色だ。何故かここに来てから白黒になってしまってはいるが、どちらかに偏って一色というわけではないし、解答としてこれ以上はない。
 …のはずなのだが、店主は腕を組み深く考えるような仕草を見せると、何も言わずに店の奥へと消えて行こうとしたので「お、おい!」と呼び止める。
 だが、俺の呼びかけも虚しく店主は完全に姿を消してしまった。
「おいおい、まだ話は途中だっていうのに…」
 仕方なく待っていようかと考えた時、しろが突然「行きましょう」と車輪を転がし始める。
「え、待っていようと思ったんだけど…?!」
「いえ、その必要はありません。さあ、次に参りましょう」
 俺の制止も聞かず歩みを進めるしろ。その足どりは何故か逃げているようにも感じた。

 その後も様々なお店に赴いてみたが、どこに行っても同じ質問を繰り返された。とりあえずその全てに返事はしたものの、誰もかしこも良い返答はしてくれず、真意は分からないままだった。
 この世界で今まで出会った住民の、しろ以外の全員が真っ黒であったことと何か関係があるのだろうか…?
「着きましたよ」
「お、おお」
 そうして考え事に耽っている間に、最後の目的地に着いたらしい。目の前には大口を堂々と開けた門が〝Zoo〟と書かれた看板を引っさげてそびえ立っていた。
「動物園…か」
 まあ、嫌いじゃない。
 わざわざ来ようと思って来る場所ではないが、たまにはいいかもな。
 入り口で券を購入してもらいゲートをくぐると、動物たちの鳴き声が飛び交う園内へと進んで行く。
「ふーん、今はこんなものもあるのか」
 そう言って各動物たちの檻の前に設置されている説明書きがされた看板を読む。小さい頃のおぼろげな記憶では飼育員がマイク片手に説明をしてくれていたと思っていたが…今は違うのかな。
 凛々しいたてがみを誇張したライオンや、水の中をジェット機の如く突っ切っていくペンギン、もっふもふの毛並みのアル↓パカァ↑を満足気に眺めてゆく。
 そうして園内の巡回を堪能していると、とある一角に凄い人溜まりができている事に気がついた。なんだろう、パンダかな?一時テレビで報道されるくらい話題になっていたし、きっとそうだ。どれ、どんなやつなのか一目見てやろう。
 そうと決まればと、しろにお願いして団子状になっている人混みの前まで連れて行ってもらい傷口が開かない程度に小さく飛び上がった。
 どれどれ、どこだー…?
「んん?」
 おかしいな、白黒の有名人が見つからないぞ…?あ、でもあそこに何かいるな。
 目を凝らしてよく見てみると、そこには豹のような…いや、でも体のシルエットは猫に近い動物が口をあんぐり開けてあくびをしていた。なんだ?あの動物は。
 ひとまず何がいるのか確認できたので車椅子の上に着地し座り直していると、人混みの中から「サーバルちゃーん!」という声が聞こえてきた。
「サーバル?」
「おや、ご存知ないですか?」
「お前は知ってるのか?」
「はい!最近急に人気が急上昇した動物ですよ。少し前まではそんなでもなかったのに、ほんと、何故でしょうねぇ…?」
 首を傾げながらも、しろは正面で寝転んでいた動物はサーバルキャットということを教えてくれた。サーバルキャット…俺も初めて聞く名前だ。あんまり話題になった事ないんじゃないか?でもどうして急に人気が…
「すごーい!」
「ふぁ?」
「あなたは高く飛ぶのが得意なフレ」
「ごめん、ちょっといきなりすぎてよく分からないんだけど…もしかして俺に言ってる?」
「そうだよー!」
「はあ……」
 いきなり話しかけてきたそいつは、両手をブンブンと振り回しウキウキしながら俺の事をジッと見つめる。
 どうやらさっき飛び上がっていた場面を目撃されていたらしい。ハイジャンプを使ったとはいえ軽く4〜5メートルは飛んでいたし…驚かれるのも無理ないか。
 でもあんまり絡まれるのも厄介だしな…もう十分動物園も満喫したし、面倒な事にならないうちにさっさと帰って……
「ええ!すごーい!」
「どうやったのー?!」
「もう一回見せて見せてー!!」
 …遅かった。いつの間にか言語が幼児退行しているクリーチャーに囲まれている。本当になんなんだ、お前らは。頼むからここから何事もなかったかのように立ち去らせてくれ。

「あの…悪いんだけど、もう帰るから道を開けてくれると助かるんだけ」
 っと、言いかけた時だった。
 南西の方角から不意に強風が吹き荒れ、たまらず飛ばされそうになった帽子をグッと押さえる。
「おっとっと…危ない危ない、さ、帰ろうぜ……?」
 気を取り直して帰宅の案を出そうとした…その時、周囲の目が先ほどとは一変している事に気がつく。その目は…人を蔑み、見下すようだった。
 数秒前までの場の空気の変わりように困惑するが、後ろを振り向くとその答えはすぐに見つかった。
「しろ…?」
 身につけていたはずのローブが風で飛ばされたのか、すっぴんになっていたしろが、酷く震えていた。まるで怯えているような、悲しんでいるような…なんだろう、その様子をどこかで見たような……?
「…ッ?!」
 そんな事を考えていると、後頭部に鋭い痛みが突き刺さり思わず頭を押さえる。
 ズキズキと響く痛みに歯を食いしばりながら顔を上げると、周りの人達が石を拾い上げてはこちらに投げつけるモーションを取っている姿が目に映った。
 冗談は顔だけにしておけよ!…顔、ねえけども……!!
 俺は車椅子から降り180度ターンすると、依然震え続けるしろの手を取り抱き抱える。
 うぐっ…耐えてくれよ、俺の体…!
 まだ傷が癒えない自分の体に強く念じると、間一髪のところで天高く飛び上がりその場から離れる。
 遠ざかってゆく人混みからは「しろだ」「消えろ」「くたばれ」「逃げるな」「穢らわしいその色はあくだ」などと罵詈雑言の言葉を言いたい放題浴びせられる。
 その言葉にふつふつと怒りのゲージが溜まりつつも、後ろは振り返らずにまっすぐ元いたしろの家へと兎跳びを繰り返した…

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「んで、そのまま何もせず帰ってきやがったのか?それは甘すぎるぞ。んなやつら、俺だったら一人残らず…」
「それ以上言うな!俺だって許せない気持ちは同じだし、今だってブチ切れるのを我慢してるんだからよ!!」
 腕を後方に大きく振りかぶりドンッ!!と壁をこれでもかというくらい思い切りぶん殴ると、天照は続けようとした言葉をそっと飲み込んだ。
 分かっているんだ、こんなのは許される事じゃないって。街の住民が寄って集って一人の人を蔑むなんて…間違ってる!!
 だけど…今はあいつらに対して怒りの矛先を向けている場合じゃない。それ以上に今やるべきなのは…しろになんて言葉をかけてやればいいのか…だ
……
 まだ昂る気持ちを抑えるためゆっくりと深呼吸を繰り返して、自分を落ち着かせる。
 ふう…と息を吐きなんとか平常心に戻ると、帽子のつばを深く下げ何かないかと考える。
 でも…いい言葉が出てこない。こんな時、なんて言えばいいんだ?誰でもいいそうな心配を装う安っぽい言葉を伝えたところで、そんなの本人を余計に思い詰めさせるだけだ。

 そう、思い詰めさせる…だけ……
 そんな時、何故か麗の姿が脳裏に浮かび上がった。
 ああ、そうか。あの時しろから感じたもの…もの悲しげなあの姿を、無意識のうちに麗に重ねて見ていたのか…
 今思い返せば、俺は何にも麗の事を分かってやれていなかった。
 でも今なら少しは分かる。初めて会った時も、もう帰れないと言っていた時も、主の言葉に悩んでいた時も…ずっと怯えていたんだ。一人ぼっちになることに。
 ダークマターは…麗は球体とは違う存在。球体とは油と水の関係で、相反し、疎み嫌われる。姿を変えて周りの目を欺いていたって、みんなとは違う。
 ただでさえ人は、周りから見て極端に異端な存在は除け者にしたがる生物だ。それなのに余計嫌われるダークマターなら…その姿を見ただけで周りの人は拒絶するだろう。それが、例えどれだけ親密な人であろうと…自分だってきっと……
「最低だな、俺は」
 ぽつり呟く。
 自分が同じ状況に立たされなければ、そんなことも分からないなんて…
 今のしろと麗は、きっと同じ状況で同じ心境なのだと思う。そして、その気持ちは俺も微味たるものだが…味わった。
 当然あんな事をされて怒りの感情が湧かないはずがない。でも…正直恐怖の感情もあった。怖かったんだ。周りの視線が、言葉が、空気が。それを延々と繰り返されれば…流石に何もかも嫌になって塞ぎ込みたくなる。
 それが怖いから、嫌だからしろも…麗も自分の正体を隠していたんだ。平穏な…自分が望む日々を過ごすために……

 俺は、麗の正体を知った時、一体どんな顔をしていたんだろう。
 自分の顔なんて鏡でもなければ自分では分からないけど…いい顔をしていなかったのは間違いない。
 そっと瞳を閉じてから、徐々に目蓋を持ち上げてゆく。
 
 伝えなければ。自分の気持ちを。
 しろに。…麗に。

「…よし」
 覚悟を決め力強く立ち上がると、しろのいる部屋へと足を運ぶ。
 渡り廊下を右に曲がり、ドアをノックしようと手を引いた時だった。
 後方の玄関の方から、トントトントン…と軍隊に見られたら鼻で笑われるであろう足並みの揃わない足音が聞こえてきた。それと同時に頭の中に警告音が煩く鳴り響く。
 俺はノックもせずにガチャリとドアノブを回して中に入ると、部屋の隅でうずくまっていたしろの手を引いて部屋から抜け出す。
 しろは「あの…」と声を漏らすが、今は急いでこの家から出ることが先決だ。
「天照!ここから出るぞ!!」
「全く、忙しい野郎だな…あんまり病み上がりを動かすんじゃねえよ!」
 天照は文句を吐きつつもベットから起き上がると、黙って俺の後に続く。
 唯一の出入り口である玄関に着くと息をゴクリと飲み込みピシャッと勢いよく扉を開く。
 すると外には案の定黒い住人たちがうじゃうじゃと押し寄せて来ていた。
 俺は2人を連れて逃げ出そうとするが、首を回して見てみると360度囲まれていることに気がつく。
 これじゃあ、逃げられない…!
「おいおい、どういう状況だよこれは。説明しろよ」
「簡単に言うとだな…かなりピンチってことだ」
 ど直球ストレートで天照の質問に答えると、天照が「全員ぶっ飛ばしていいか?」と聞いて来たので、やめてくれと返す。
 こればっかりは暴力でねじ伏せても解決しない。なんとか和解を求めたいところだが…果たして話が通じるかどうか……
 でもここでうだうだしていても仕方ないし、早く行動しないとしろをもっと怯えさせる事になるし…く、やるだけやってみるしかない!
 不安そうなしろを天照に任せて大衆の前に出ると、大声で叫ぶ。
「悪いが止まってくれ!!話がある!!」
 止まれと叫び続けるが、微塵も歩みを止める気配がない。
「しろはお前らとはどこか違うのかも知れない!!だけどそれだけで蔑むのは間違っていると思うんだ!!!」
 まだ、止まらない。
「きっと話せば分かり合える!通じ合えるはずだ!!だから見てくれだけで判断するのはやめてく」
「うるさい!!!」
「あんたもそいつと同じだ!!」
「出て行け!!!ここから!!!!」
「……ッ!」
 真っ正面から飛んで来た小石が額に衝突し、真っ赤な滴がポタポタと零れ落ちる。
 ダメなのか。俺の声じゃ、しろを救うことはできない……
「もう、やめましょう」
「…?!しろ……?」
 いつの間にか背後にいたしろは俺を抱え込むと、そう呟く。
「でも、それじゃあお前の居場所が!」
「いいんです。僕、いつかはここから抜け出そうと思っていましたから」
「しろ……」
「でも、でも…あなたの言葉、とても嬉しかったです。いつも一人だった僕の事を思ってくれる人なんていませんでしたから。だから…ありがとう」
 震える声でぽろり…っとしろはお礼を述べると、どこから取り出したのか見覚えのある物を取り出した。
 いつも一緒だった、俺の相棒と言っても過言ではないもの。後輪から先が溶けきって使い物にならなくなったが、捨てきれずにずっと持っていたもの。
「俺の…スケートボード……」
 しろはそんな大事な相棒を俺に手渡すと、人魂のような形の霧になりスケートボードに纏う。
 すると無惨な姿だった相棒はみるみる姿を変えてゆき、溶けていた部分が元の形に戻り、先端部分には羽状のオーラがバサリと生えた。
「まさか、宿った…のか?」
 それに、この形…まさか。
「おい、しろ。これって…」
「はい。あなたが大切に抱えていたものと融合させて頂きました。これで空を飛び、上に行きましょう」
「…本当に、いいんだな?もう…戻って来れねえかも知れねえぞ?」
「はい、構いません。もう出るって先ほども言いましたから。さあ、行きましょう!!」
 しろの明るさを感じる声に「ああ!」と返事を返す。
「天照!後ろに乗ってくれ!」
「頭がこんがらがりそうだが……仕方ねえ、乗ってやる!!」
「よし、行くぞ!しっかり掴まってろよ!!」
 いつもの要領でボードにしっかりと足をつけると、ハイジャンプで土埃を巻き上げながら豪快に飛び立つ。
 久しぶりの感覚に多少ふらつくが、それもすぐに慣れて雲を突き抜ける。

 待ってろよ、麗。
 この世界の住民の説得はできなかった。もし、本当にもしもだが俺たちの住んでいる世界が同じ答えを提示して来たとしても、俺は……お前に伝えたいことがあるんだ…!

 しばらくして、風を切る音と天照の「ふごおおおおおお」という断末魔が混ざり合った音にため息を吐きそうになっていると、しろがおもむろに呟いた。
「あの…一つ聞いてもいいですか?」
「ん…?なんだ?」
「後ろの方の名前は聞こえたので覚えましたが…まだあなたの名前を聞いていませんでした。よろしければ、お伺いしても……?」
 なんだ、そんなことか。そういえば、まだ名乗っていなかったっけな。
 俺は大きく息を吸い込むと、空に浮かぶ真っ黒な満月を見つめながら口を開く。
「俺は…ネロだ。よろしくな」

次回、ついに主との再戦へ…!
つづく。

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