灰色の青年と逆三角の少年の話

「チッ…また雨か」
 初夏、深夜2時半。
 どうもこの時期になると、突然の豪雨が頻繁にこの町を襲うようになるらしい。
「“ムーンホール”な…こんなに天気悪いんじゃあ月もクソも無ェ」
 俺がこの町に住み着いてまだ数週間しか経っていない。住人と大してコンタクトをとっていないし、深夜になったら独りでここら周辺を歩くのを日課にしようと思ったのだが、タイミングが悪かったのか天候が不安定でなかなか外に出れやしない。
 今まで俺は、幼い頃に両親を殺し、俺の頭に十字の傷を負わせた犯人を探すためにこの大陸を渡り歩いてきた。メカノアートをはじめ、あらゆる都市を巡ったが手掛かりらしい情報は全くと言っていいほど手に入らなかった。おかげでこんな辺鄙な地方都市にまで奴を探す羽目になってしまった。…しかし、どうやらここにもいないようなのだ。
 なのでこんな町はさっさと出ようと思ったのだが、“ボス”と呼ばれているらしいここの町長が必死に俺の更なる引っ越しを止めてきたので(本人は町の売り込みの際逃げ出す人が云々と言っていたが意味は未だにわかっていない)、仕方なくしばらくここに滞在することにした。あそこまで大人げなく懇願されてしまっては流石に気まずかったし、ムーンホールは辺鄙故なかなか落ち着きのある町で…俺の性に合っている気がした。
 まあ、そのうちこの町ともオサラバする時が来るだろうがな。犯人を見つけ復讐するまではのんびりしていられない。……殺された両親のためにも。

 深夜3時。まだ豪雨は降り続けている。
 窓の外からザアザアと激しい音が聴こえてくる。止む気配はない。おそらく一晩中ずっとこの調子だろう。
 温かいコーヒーの入ったカップを片手に、奥に行くほど広くなるやや扇型の自室を見回した。
 …ほんと奇妙な形をしているよな、ムーンホール。何でも、元々ぽっかり空いていた巨大な穴を埋めて造られたのだとか。道理でこんな綺麗な円形をしているわけだ。
 ふと窓の外を覗き込む。相も変わらず振り続ける雨に呆れたのでそろそろ寝ようかと思ったら、自室の反対側にあたる位置の階段にいる何かの影が目に留まった。遠いがぼんやりと見える。
 人…だろうか。こんな豪雨が降っているのにも関わらず、傘を差している様子ではなかった。
「…何をやってるんだアイツ…!」
 あまり面倒事になって欲しくはなかったが、心の中のウズウズが事態の回避を許さなかった。俺は急いで傘を取り出し、家を飛び出した。

例の階段の場所まで走って来た。やはり人だ。逆三角形の飾りを身に付けた少年(いや、少女か…?)が壁にもたれ掛かっている。
 とりあえず意識があるか確認しなければ。
「おい、お前」
「……」
 反応は無いが、息はしているようだ。
 傘を少年の上に被せるようにかざし、更に問う。
「お前、こんな所で何をしている?お前一人か?親は?」
「……」
 …駄目か。完全に衰弱しきっている。ここであれこれするよりも急いで雨宿りさせたほうがいいな。
 俺は傘を畳み、少年を背負ってダッシュで家へ戻った。
 ドアを閉め、傘を置き、少年を降ろす。そしてずぶ濡れになった少年の体をタオルで丁寧に拭き、自身の身体を拭いた。…このタオルも俺の服もこいつの服もずぶ濡れだな。雨が止むまで干せないか。この帽子は乾燥機にぶっ込んでも大丈夫なのか?いや、これは普通に干しておこう。
 他の服を乾燥機に入れて稼働。少年を改めてベッドの上に寝かせ、様子を見ることにした。
 額に手を当てると、はっきりと高熱があることがわかった。だろうな。長い間豪雨に晒されてりゃ風邪を引くのも当然だ。生憎特効薬を持ち合わせていなかったので、冷蔵庫から氷をいくつか取り出し、袋に入れ、少年の額の上にそっと乗せた。
 …しかし、この少年は何者なんだ。ここに引っ越して来た時に住人を全て調べたが、こんな奴はいなかったはずだ。今日ムーンホールに来たばかりなのだろうか。
 何故少年が、深夜の雨の中、こんな場所で倒れている?親は?家出でもしたのか?それとも捨てられたか…。
 色々考えているうちに、俺まで眠りについてしまっていた。

 翌朝、昨夜の雨が嘘だったかのような快晴っぷりだ。
 幸運なことに俺は風邪を引かなかった。少年もあれほどの高熱だったのに、一晩寝ただけである程度体調が良くなっていた。随分と回復が早いものだ、何とも羨ましい限りである。俺には永遠に頭の傷が残っているというのに。
 少年(名前は“トリア”というらしい)は目を覚まして早々「あんた、誰…?」「何で僕はこんな所にいるの…?」「余計なお世話だよ…」と失礼な言葉を吐きやがったので殴ってやろうかと思ったが、衰弱し、倒れ、意識が無い間に見知らぬ男の部屋に匿われたらそりゃパニくるのも当然なので、我慢して感情を抑えるのであった(いやでも3つめは明らかに失礼だろ)。
「それで?」トリアに朝食を分け与えつつ、「何故お前は昨晩あんな所にいたんだ?」と問うた。トリアは朝食を受け取るのを一瞬躊躇ったが、素直に受け取ってくれた。
「…何であんたなんかに…そんなのどうだっていいでしょ…」
「よかねえ。あんな雨の中でぶっ倒れて、あのまま放置されてたらお前は死んでいたんだぞ。…尋問のようになって申し訳ないが、俺にだって知る権利がある。お前は独りでこの町まで来たのか?」
 トリアはむっと口を尖らせると、そのまま俯き、
「…家出したんだ」
 ようやく答えてくれたようだ。
「元々住んでた町が嫌になって、飛び出したんだ。」
「親は?この事を知っているのか?」
「…知らない。僕なら人に気付かれる前に逃げられるから」
「どういう事だ」
「…『トルネイド』。風を纏って“消える”」
「…成程な」
 家出か。性格の割に結構思い切った事してるんだな、こいつ。
「ということは、昨晩ここに来たばかりで」
「…うん」
「まだ家を持っていないと」
「……うん」
「そうか」
 家を持っていないのは痛いな。流石にこの部屋にこいつを匿えられるほどの広さは無いし…。
 そういえばこの町の探索中に空き家を見つけたような気がする。あそこなら…。
「トリア」
「…何?」
「付いて来い」

 ――ムーンホール役場。
 入ると、受付の役員がひきつった表情で挨拶をしてきた。
「ひッ、ぐ、グレイさん!おはようございますっ!」
「ああ」
「うわあ!?すみませんっ!命だけはご勘弁をっ!!」
 …そんな下手にビビんなくたっていいだろうが。俺が何をしたっていうんだ。
「なあ、こいつが今日この町に引っ越して来たんだが」
 俺の後ろに隠れるように引っ付いているトリアを指し、次にカウンターに貼られたムーンホール地図を指す。
「確か町のこの辺に空き家があったよな?あそこをこいつの家にして欲しい」
「あっ、はい。確かにその部屋には誰も住んでいらっしゃいませんね。わかりました。では、部屋の御名義はどうしますか?そこの方か、グレイさんか」
「む…仕方ない、俺にしてくれ。税金も俺が払う」
「その必要は無ェ」
 役所の奥から男気のある声が聴こえてきた。
「ボスぅ!」
「町長か」
 丈の長い耳が生えた、ムーンホール町長カゲキだった。
「役員とあろうものがッ!町長と呼べッ!…ようグレイ。ここの生活にはもう慣れたか?」
「多少はな。ところで、『その必要は無い』ってのはどういうこった」
「事情は知ってるぜ。オマエ、昨夜に雨の中倒れていたその子を助けたんだろ?」
「何故知っている」
「目撃者がいてな、通報が来たんだ。まったく、あんな真夜中に突然通報が来るんだからビックリしちまったぜ。慌てたもんで、おかげで本棚の角に足ぶつけちまった」
「…そいつは大変だったな」
 しかしその目撃者とやら、通報してくれたのは嬉しいんだが、せめてその後にちょっとは手伝ってくれなかったのかよ。
「つーわけで、後は俺に任せろ。その子がワケアリなのも大体察しが付くからな、大サービスだ!税金はこちらが負担しよう」
「ちょっ、オイ、そんなのいいのかよ」
 あまりのサービスっぷりだったのでつい驚いてしまった。顔に似合わずとことん心が広いんだな。だから町長になったのか。納得だ。
「いいさ。子供を働かせて無理矢理金を巻き上げるわけにはいかんだろ?任せろって、なっ!」
 町長はトリアに顔を近付けたが、その分トリアは俺を挟むように町長の反対側に回り込んだ。
 …付いて来いとは言ったが、何故さっきから俺から離れないんだ、こいつ。
「ヘッ、とんだシャイボーイだな!いや、ガールか?まあいいや」
 町長はカウンターの内側に戻り、
「それじゃあ入居手続きとかその他色々、後の処理も頼むわ。あ、名義は俺にしといてくれ」
 と役員に指示した。役員は「はい、ボス!」と威勢良く応え、更に町長が即座に「バッキャロ、だから町長と呼べっての!」と返し、「そんじゃな!ようこそムーンホールへ、だ!」とこれまた威勢良く言い残し、奥の部屋に入って行った。
 俺はその後ろ姿を見送り、意外なカリスマ性に驚きつつ、トリアへ振り返った。
「良かったじゃねえか。これからはお前もここの住人だ。宜しくな」
 トリアは相変わらず俯いているが、どこか嬉しそうに見えた。「うん」とだけ答え、もじもじとしていたので不思議に思っていると、トリアが今まで合わせることのなかった視線をこちらに向け、口を開いた。
「ねえ」
「何だ」
「…“兄さん”って呼んでいい?」
「…は?」
 それ以来、何故かトリアは俺の事を「兄さん」と呼ぶようになった。

Twitterでこのページを宣伝!Share on twitter
Twitter

コメントを残す