【小説】荒れた魔術書 第4話 凶禍水月

街の中心部に位置する円状に開いた空間。
広場と呼ばれるこの場所に私は立っている。

さて、ムーンホールという街についてだが…例えるならこの形はドーナツに似ているのか?はたまたバームクーヘンの方が近いか?

果たしてこの地はそんなに甘い場所なのか?

今、私の前方には私に対する敵意を剥き出しにした非常に強力な球体が対峙している。
これから始まる出来事は、事前の情報が無くともこの状況を見れば一目瞭然であろう。
何を期待したのか街の住民達が私と彼が充分に動ける空間を囲むようにグルリと集う。

先程の問い掛けだが今の私ならこう答えるだろう。
互いに武器を持ち対峙する二人…
これから起こる出来事を見守る群衆…
まるで闘技場<コロシアム>であると…

「君がどういう願いを持とうが構わない。」
対峙している魔術師が不意に口を開く。

「しかし、その魔術書だけはダメだ。君が真っ当な球体であり真っ当な願いを持つのであれば、この魔術書は君にとっても…世界にとっても良い結果を持たらさない!最後に問う。その魔術書への一切の執着を捨てるんだ!!!」
杖の先端を高く突き上げながら彼は私に問い掛ける。

市長という立場から言わせて貰えば、彼は話に聞くような危険な魔術師ではないだろう。
寧ろこの世界を愛し、魔術により世界の均衡を崩れる事を抑える、まるで魔術世界の番人だ。
魔術書を今ここで捨てる事で彼らの世界の安寧は守られるかもしれない。

だからどうした?
それで私達の世界を救うかもしれない一手を易々と捨てれる訳がない。

「捨てれませんよ。私達の数少ない希望は簡単にね。」
「それは希望なんかではないさ。絶望だよ。貴方は聡明な人のはずだ!目を覚ますんだ!!」
言葉の応酬が無意味に繰り返される。
いい加減この状況に苛立ちを覚えてきた頃。

「埒があきませんね。」
「…そうだね。言葉では伝えきれない事があるという事だ。」

フローズンカンティネイトから来る北風が再び私達を撫でるかのようにやって来た。
風で煽られた大魔術師のローブが次第に落ち着きを見せる。
それと同時に私達は互いの武器を強く振るった!

彼と私の間合いは私の持つ鞭剣の刀身長の5倍離れている。
とてもじゃないが斬撃が届く距離ではない。
しかしそれは普通の剣ならばの話だ。

「…くっ!!!」
大魔術師は苦悶の声を上げる。
それもそのはず、彼の頬を私の剣が切り裂いたからだ。
私と彼との間合いは充分に取れている故にこの不意の一撃は大魔術師と言えど避けるのは困難であろう。

鞭のようにしなる剣。
鞭剣。
見た目は普通の剣だが一度振るえば刀身に複数個あるつなぎ目が外れる。バラけた刀身パーツの隙間には強靭な鞭が露わとなる。
即ちこの武器は鞭に複数の刃が付いた構造になっている。
扱う時は鞭の如く。切り裂くは鋼鉄の劔。

先手は打った。
これで大魔術師の初手を防いだはず

…だったのだが…
「ぐはっ!!!」
私は情けない声と共に血を吐いている…

状況が読めない…

大魔術師を切り裂いたかと思えば突然鈍い音が広場全体を響き渡り、その刹那背中に激痛が走る…

ああ、私の体はめり込んでいるのだ…
広場を囲む住戸の壁に…

「何が起きたのかわからない顔だね…」
広場の中心に顔を向けると、そこには先程まで無かったクレーターのような大穴が開いており、その底には先端を地面にめり込ませている杖を持った大魔術師が立っていた。

大魔術師は私が先程斬りつけた頬の傷を軽く拭うと、杖を地面にめり込ませた状態で引きずってきた。
まるで地面を抉るかのように、こちらへゆっくりと歩む。
その間大魔術師は落ち着いた声で話しかけてきた。
「まさかその剣が鞭のように伸びるとは思わなかったよ。お陰でほっぺたが痛い。だからこれはお返し。僕はただ杖を地面にぶつけただけ。ただの物理攻撃。君はその衝撃で吹っ飛んだだけだ。手荒な真似は嫌いだけど、こうでもしないと君は止まらなそうだからね。」

淡々と事を話す彼に私は驚愕していた。
地面に大穴を開けるほどの一撃が魔術でも何でもなくただの物理攻撃だと!?

いや、と言うか…
「くっ…魔術、使わない…のですか?」
私の口から不意に溢れ出た言葉。
『ですか?』の『か?』を言い終えた頃には私の視界は天空へと移り変わっていた。
「ぐはぁっ!!!!」
激痛と絶叫と共に…
そうか、これは高く打ち上げられてるんだ。私の体を!!
成る程!どういうわけか、大魔術師は怪力のよう…だ…

………

目が霞んできた…
体は痛みで悲鳴をあげる…
これ以上は彼の攻撃どころか地面に打ち付けられるダメージで私の敗北は決定するだろう…

「させる…もんですか!!」
包帯の一部を切り離す。
別離した包帯を網のような形に編み、私の能力のサイコキネシスでその網を操り、落下する私を受け止めた。

空中に浮遊させた網から顔を出し広場の様子を見る。
落下地点には大魔術師が杖の先端をこちらに向けて待ち構えていた。

「恐ろしい方だ…私をどれだけ殺したいのですか…」
「殺しはしないさ。君が魔術書への執着を諦めるぐらいのダメージは負ってもらうけどね。」

何故か魔法を使用しない大魔術師。
彼に遠距離攻撃の手段が無いのならこのまま空中で息を整えよう…
まともに彼と撃ち合えばこちらに分が悪いだろう…
それに『アレ』が間に合うまで時間を稼がなければいけない。

「このまま空中に居座ろうという魂胆かい?そうはさせるか!!」
大魔術師が叫んだのと同時に杖を上空に向けて投げつけた!
咄嗟に杖にサイコキネシスを仕掛け弾道をズラし直撃は免れたものの、杖が通り過ぎた後に生じた気流の乱れによりバランスを崩してしまう。

「まずっ!」
そう呟いた頃には私の体は真下で拳を構える大魔術師の座標へ向かうように落下していた。

大魔術師と私の間合いはどんどん近付いていく。

残り1秒。
大魔術師の次なる一手は強力なパンチだろう。
サイコキネシスで僅かに自身の体かもしくは彼の拳をズラしたところで殺せるダメージは微々たるもの。

最早詰み。
完全に相手を見誤った。
私は大魔術師を相手にしているつもりが、実は野蛮なる狂戦士を相手にしていたのだ!

「貴方…本当は魔法が使えないのでは…」
「終わりだ!!!」

大魔術師の拳が消える。
正確には目で追えない速度でこちらの身体を穿つように突き出したのだろう。

「アディス!!!!!!」
「市長!!!!!!!」
聞き慣れた声が耳に入る。
私はそれを聞いた時にどうしようもなく申し訳ない気持ちになった。
アンダーハーデスの闇を取り除く手掛かりが完全に失われる。

……時の流れが妙に遅く感じる。
これが死の寸前に垣間見る走馬灯というものか。

鬼気迫る表情で拳を突き出すコーパルさん。
苦悶の表情で何かを呼びかけるアンダーハーデスの住民たち。しかし…銅さんとカルティーさんが見当たらない…。
ゆったりと動く時の流れ。
視界に入る者すべてを捉えるのは容易であった。

コーパルさんの拳が目前に迫る。

一縷の望みをも打ち砕くこの強靭なる拳。
私に止める手立ては…


……
………
『諦めるのはまだ早い…』
突然脳裏にこの言葉が浮かぶ。
こんな状況で私がそんな事を考える筈がない。
この言葉は、誰かが私にくれた言葉だった。

いつの間にか胸元に忍ばせていた魔術書が零れ落ち、私の眼前で留まる。

時の流れが徐々に正常に戻る。
砂煙が舞う。
硬いもの同士をぶつけたかのような甲高い音が鳴り響く。
「これは…」
敗北する筈だった私の身体は大地を踏みしめ、そう呟いている。
コーパルさんの拳は酷く損傷している。
魔術書は私の前方で浮遊している。

「うぐぁあ…!!一体…何が!!」
コーパルさんは悶絶しながら私と同じ疑問を持つ。
なぜ私は彼の一撃を躱し、なぜ彼は自身の拳に損傷を負っている?

「盾になってくれたのですよ。」
群衆の中から柊さんがやって来て事の顛末を説明してくれた。
「一瞬の出来事でした。大魔術師(笑)の拳がアディスさん…貴方に触れる瞬間に、そこの本がたまたまアディスさんの胸元からズレ落ちて貴方たちの間に割って入ったのですよ。まるでアディスさんを守る盾のようにね。」
「魔術書が…盾に…」

防御において無敵を誇る魔術書が、たまたま私たちの間に入り込み、攻撃を防いだ?
そんな偶然があるのか?
何にせよ私は助かった。
しかし…
「勝負はまだ決してない。そうでしょう?コーパルさん?」
傷だらけの拳を物ともせず涼しい顔で仁王立ちをするコーパルさんに問い掛ける。
「愚問だね。まだ拳が一本イカれただけだ。もう一本まだ残ってるし、何なら砕けた拳で殴っても良い!!」

コーパルさんの怪力による渾身の一撃が自身に返って来たと言うのに彼はまだまだ平気なようだ。

彼と私の最後の攻防が行われる。
コーパルさんは畳み掛けるようにパンチのラッシュを続ける。
私は残りのスタミナに気を遣いながらサイコキネシスと魔術書を用いて間一髪で防ぐ。

地獄のような時間は数分ほど続いた。
そして、とうとう勝負は決した。

「時間です…」
私の言葉が彼の耳に届くのと同時にコーパルさんの身体が青ざめていき、彼は地面に倒れこんだ。

私も倒れ込みそうになったが、天城さん達が即座に支えてくださり何とか踏み止まった。

柊さんがコーパルさんの元に駆け寄り、彼の瞳孔や心音などを診る。
「アディスさん。一服盛りましたね。」
「その通り。秘蔵の毒を彼に投与したのです。」
「まさか、最初の一撃の時に?」
「ええ、鞭剣にたっぷりと毒を塗りました。」
大魔術師が相手という事で容赦はしなかった。
私の持つ毒瓶の中で身体の自由を奪う神経毒をあらかじめ鞭剣に塗る。彼の頬に切り裂いてから数分後にはご覧の有様になる訳だ。

「なるほど。さすがは猛毒使いだ。しかし、毒があるということは?」
「勿論、これもありますよ。」
私は胸元から黄色い液体の入った小瓶を一つ取り出し柊さんに手渡す。
柊さんはすぐ様それを受け取りコーパルさんに飲ませた。
見る見るうちに顔色の良くなったコーパルさんを見た柊さんの表情は一瞬安堵したかのように見えた。

柊さんは町の住民にコーパルさんを病院へ運ぶように頼んだ後に私に声を掛けた。
「貴方がなぜ彼と闘っていたのかはわかりません。しかしどのような理由であれ私の仲間を傷付けるのはいただけませんね。例えお得意先であってもね。
………死にたいのですか?」
口調は変わらず、しかし最後の一言には明らかに殺気が含まれていた。
それを感じ取ったのか天城さんや天照さんが武器を構える。
しかしすぐ様柊さんの殺気は消え去った。
「ですが、貴方は彼に解毒剤を与えた。それに貴方も彼にボッコボコにされてましたしね。それで大目に見ます。」
それを聞き取った天照さんが
「何様だテメェ!!!!」と怒号を浴びせたが、トワイライトさんとヴァールさんにより引き止められていた。

「ええ、感謝します。……柊さん。」
この闘いの被害を不問にしてくれるのはありがたい。
先に闘いを挑んできたのはあちらなので納得はいかないが…。

「な…納得…いかなそうな表情だね…」
解毒剤の効能が効き始めたのか、毒に侵されていたコーパルさんが意識を取り戻しこちらにフラフラと向かって来ながら呂律の回らない口調で私の心情を言い当てる。
少々驚いた…
心を見透かされた事ではなく、解毒剤があるとは言え私の秘蔵の毒を喰らった彼が短時間で意識を取り戻した事に。

「なかなかタフですね。コーパルさん…」
私は再び鞭剣を構える。
刀身の背から彼の表情を覗き込んだが、彼は穏やかに微笑んでいるように見えた。
攻撃の意思が無いように思えたので鞭剣を下ろした。

「どうしても…伝えたいこと…があってね…。僕だって…納得いかない…さ。しかし…負けは負けだ…。」
「何を…言っているのです?」

「…さっき、僕たち…が闘っていた時…ムーンホールが…闘技場のように…思えたよ…」
「!…私も…そう思いました。」
まさか彼も同じ事を考えていたとは…。
互いに譲れぬものがある事と言い案外彼と私は似ているのかもしれない。と思っていたが彼の怪力はどう見ても真似できないのですぐに考えを改めた。

「そうか…。…闘技場の…勝者には報酬を…与えない…とね…」
報酬か…。
まさかそんな物が貰えるとは思わなかった。

「…きっと君達の…旅の役に立つ…」
「一体何を…くれると言うのですか?」
「それは…魔術書の記述が…指し示す事…。言わば僕の…解読結果だよ…」
「なんと!!」
思いも寄らぬ収穫に私はつい心が躍る。

しかし彼の考えを知る私には彼がどうして魔術書の情報をくれるのか理解できなかった。
私はどうしてもその事が気になってしまった。
「貴方は…魔術書への執着を捨てるように言ったはず…。どういう風の吹き回しですか…。」
「魔術書の事を…諦めてほしい…今でもそう思うさ…。…ただ、君は僕に…勝ったんだ…。君の情熱が…僕の情熱を上回った…。それに…魔術書もまた…君を守るかのように盾になった…。僕はこの結果に…君が何か…大いなる意思に導かれてるように…見えた…。…止めれるわけがないよ…。」
「大いなる…意思…?それは一体何ですか!?」
「それはまだわからない…。しかし…君は最早その魔術書に記されてある禁術を…発動しなければならない…ようだ…。」

コーパルさんはそう告げると、一枚の紙を手渡してきた。

「そこに…君が今すべきことが書いてある…。いいかい?魔術書に…記されてある禁術…発動したら、…きちんと後処理を…するんだ…。」

私は彼のこの言葉を胸に刻み込んだ。
その直後に彼は再び眠りにつき、柊さんらムーンホールの住民達に病院に連れて行かれた。
それを見届けた私も足がおぼつかなくなったが、天城さんが再度私を支え楽な姿勢へと変えてくれた。

「無茶するなよ市長。お前が倒れて悲しい奴はいるからな。」
「天城さん…。ええ、ありがとうござい…ま…」

まぶたが重くなる。
どうやら私も眠りに……







おやおや彼は眠りについたようですね。
仕方がないので私がコーパルさんが残した魔術書の解読結果とやらを読みましょう。

『メカノアートに行くんだ。』

はい、これで終わりです。
短いですねぇ。

しかし仮にも大魔術師と呼ばれた人が残した解読結果。
アディスさんは彼の手紙通りメカノアートへ赴くことでしょう。

さて彼の行く末、無論私は知っていますが見守る事にしましょう。



序章 完

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