猫の影

夕に染まる街を見ていた。
コンクリートが陽に溶けて、建物の輪郭と僕の輪郭が朧気になる。嗚呼、このまま夕日と共に闇の中へとっぷりと消えてしまえたらいいのに。

夕日を見る度に黄昏れる想いは光と共に消え、街は闇に呑まれた。
「あーあ…僕も夜の中に攫ってくれればいいのに…」
届くはずもない言葉を見えなくなった太陽に呟く。
大きな光が消えて、街に新しい光が無数に生まれはじめる。
小さくため息を吐き、僕の感情は白く吐き出されてひんやりとした空気に溶けた。
それと同時に僕の海の底のような感情も夜へと消えた。
「とりあえず今夜の寝床を探さないとな」
そう呟き民宿でも探そうと適当に歩を進めた。
家の中から聞こえる小さな喧騒とコツコツと鳴る地面の音が妙に心地よく、このまま夜が耽るまで歩き続けてもいいような気がしてしまう。
地面を鳴らし、燐光を発する看板を眺めながら右手を弄ばせていると、背後で何かが動いた気がした。
「ん?今なにか…?」
振り向いてみても何もいない。まぁ、夜に外に出歩いている人がいるなんて普通はないか。
ブーメランを確実に自分に当てながらそう考える。
「幻覚だね。うんうん。よくあることだ」
なにも不思議じゃない。ただの幻覚だ。きっとそうだ。僕は夜になると子どもを攫うと噂されている影なんて知らない。
うんうん、とひとり頷きながらまた歩き出す。
少し歩いたところでさっきよりも近くで何かが動いた。
またか、と思い振り返ると猫耳を生やした丸っこいなにかが結構な速さで迫って来ていた。
「取材させてくださぁぁぁぁああい!」
若干の混乱があり、僕の耳には最後の伸びた声、視覚にはもふもふの猫耳だけが認識された。
「なんだ。にゃんこか」
錯乱とは恐ろしいものです。涼しい笑顔を浮かべ右腕を伸ばし、猫のようなものに巻き付ける。
「ほーらにゃんこ、こわくないよー」
ははは、と笑いながら頭を撫でる。
「うわわ!やめてください!やめてください!」
うわわ、やめてください。頭の中で反芻する。
「あっ…にゃんこじゃなかったですか…すいません」
拘束を解き、恥ずかしいことをしたなと思い少し頬を染める。
もちろん右半身はそれどころではなく面白い赤に染まっている。
「まったく、私は猫ではありません…れっきとした球体です」
少しだけ赤くなっている気がするのは気のせいだろう。
「すみません…ちょっと気が動転して…あ、えっと…あなたは一体…?」
恥ずかしさと申し訳なさで右半身が顔を覆おうとしているのを必死に抑えながら謝る。
「まぁ突然突っ込んだ私も悪いですし…あ、私のことはトラマルとお呼びください」
服に付いた砂を払い、簡潔すぎる自己紹介をもらう。
少年のような声で…性別がイマイチわからなかったが気にしないことにした。
「僕は幽憂です。どうして…いきなり突っ込んで来たんですか…」
顔が少し苦くなる僕とは対象にトラマルさんの表情はパッと明るくなった。
「そうでしたそうでした。あなたに取材をさせて頂きたくてですね。少しよろしいですか?」
「は、はぁ…まぁ…」
そんなににっこりと微笑われたら断れないじゃないか…
「それで、取材ってなんのですか?」
「実は私、都市伝説や伝記なんかの伝承作家のようなものをやっておりましてね。ここチトセヤガスリで興味深い噂を聞いたものですから。あなたのその不定形な半身。関係あるのではないかと思いましてね」
僕も噂で聞いた影ってやつか。
…僕のこれと影…関係ありそうに見えるかなぁ…?
「まぁ、その件とは関係が無くてもとても興味深いものですからね。是非お話して頂きたいのです」
僕の不思議そうな表情でも読んだのか、そう付け加えられる。
「いやこれ、そんなに面白いものじゃないですよ?」
もやもやと形を変える右手を軽く振ってみる。
「あなたは半身は球体のまま、しかしもう半身は球体とは異なるもの…面白いじゃあないですか」
そう言ってトラマルさんは僕のほっぺたに筆をぷにっと当てる。やめてくれ。
「そうですかね…そんなに興味あるなら触ってみます?」
そう言って右手を差し出す。もちろん触れられないように実体は消してある。なんか触られたくないもん。
「よろしいのですか?それでは遠慮なく…」
掴もうとしたトラマルさんの手が虚空を切った。
「なるほど、触れられないものなんですね」
さらさらとメモを取りながらそう呟く。
「いや、全然触れますよ。形も変えられますし」
そう言って椅子のようなものを形作りその上に座ってみせる。
おおぅ!なるほど…!といったような顔をしている。面白い。
「これ、僕の感情みたいなのが溢れでちゃってるだけなので僕のイメージ出来るものにならなんでもなりますし、触れることも触れないこともできるんです」
そう言って猫じゃらしを作り、トラマルさんの前で振ってみた。
なるほどなるほど…と呟きながら触ろうとするのを直前で引き上げ猫と戯れている気分になってみる。かわいい。
「ちょっと…触らせてくださいよ…」
遂に鋭い目でみられてしまったので大人しく右手を出す。
「ほうほう…質感なんかも変えられたりせるんですか?」
しきりにメモを取りながら聞いてくる。
「まぁ想像できる範囲なら…想像するの面倒なので普段はふわっふわにして寝転がるか固くして移動に使うくらいですけど…」
メモを取り終えたのか筆とノートを懐にしまい頭を下げた。
「ご協力ありがとうございます。今日のところはこのくらいで大丈夫です」
なるほど?それはまた来るよってことかな?
「それでは私はここらで退散して頂きます。暗いのでお気を付けて」
トラマルさんは機嫌が良さそうに踵を返した。
「トラマルさんこそお気を付けて…」
聞こえてるかわからないが背中に一応呼びかけておく。
トラマルさんが消えるのを見守ってからあることに気がつく。
「あっ…今夜どこで寝よう…」
嵐のような人に数時間引っ掻き回されたな…と思いながら、深くなった夜に息を吐き出しまた歩き出した。

〜Fin〜

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