【小説】ツキウガチ 第3話

「酷い森だな。あっちもこっちも草だらけだ。まさか最初のお話に戻ってきたわけじゃねえよな…?」
 背丈ほどの長さのある雑草を払いながら、唯一歩けそうな獣道をただひたすらに進んで行く。
 辺りには光を覆い隠すほどの木々が連なり、こぼれ日がちらほらと差し込むほどの明るさしかない。
 ふと横を見ると、すぐ隣では麗が俯いたまま俺についてきていた。そういえば初めて会った頃からずっと浮かない顔をしているが…何かあったのだろうか。
 どうにも気になって仕方ないので、思い切って話しかけてみる。
「なあ、麗。お前、さっきからずっと暗い顔してるけど、どこか具合でも悪いのか?」
「……」
 俺の問いかけに対し少しでも反応するかと思いきや、うんともすんとも言わずに歩き続ける。まるで最初から何事もなかったかのように。
「いや、まあお前がいいならいいんだけどさ、何かあるならすぐ言えよ?休憩とかも遠慮なんてしなくていいんだからな」
 ひとまずそれだけ伝えて前に進む。
 それにしたってうざったい草達だ。何がうざいって、量もそうだが無駄にある長さのせいでいちいち顔にかかるのがたまらなくウザい。普通にキレていいレベルだぞ、これ。

 そんな愚痴を頭の中でグルグルと回し続けていると、突然横からマフラーを引っ張られる。
 何かに引っかかったか?と引っ張る方へ振り向くと、すぐ横にいた麗が顔を俯せたまま、グイグイとマフラーだけを引いていた。
「ど、どうしたんだ急に。やっぱり休憩か?」
「…ちがうの」
「んん?じゃあ……?」
 依然顔色を変えない麗は、マフラーだけを強く握りしめる。
「あたし、怖いの」
「怖いって…この森が?」
 俺がそう言うと、麗はブンブンと首を振る。
「もう戻れなくて…でも、戻ってしまうの……あのころに」
「……?」
「あたしが、みんなに隠していたから…だから……」
「隠して…?何の話だ?…麗?」
「………」
 何のことかサッパリ分からず話を聞こうとするが、麗はそれ以上…口を開くことはなかった。
 きっと暗い顔をしている理由を数分前に聞いたから、答えてくれたのだと思うが…あまりにも情報が少なすぎる。だけど、とりあえず体調が悪くて暗い顔をしているわけではなさそうだ。
 おそらく俺と出会う前に何かいざこざがあったんだろうな。隠していたという言葉が引っかかるけど、こんな小さな女の子がここまで引きずるような隠し事ってなんだろうな……?
 
 色々と頭の中で模索してみるが、答えなんて出るわけもない。
 そりゃあそうだと頭を使うのを止めようとした時だった。茂みの中から薄っすらと小さな小屋のような物が目に飛び込んできた。
「こんなところに…家?」
 不思議に思いつつも草をかき分け近づいてゆくと、そこには間違いなく一軒の家が立っていた。
 作りは木造で、屋根は三角屋根、そして窓が1つだけポツンと付いているが、あとは特にごちゃごちゃとしたものはなく、なんともシンプルだ。
 歩き続けて大分経つし、そろそろ休憩しようかなと思っていた矢先に休めそうな場所を発見するなんて…なんだか今回はついてるぞ。
 麗に休む旨を伝え玄関らしきドアの前に立つと、軽く2回ほどノックをする。
「……」
「…あれ?」
 誰も出ないな。もしかして音が小さかったか?
 そう思って今度はさっきよりも強くノックしてみるが、やはり反応はない。
「参ったなぁ〜…まさか誰も住んでいないのか?」
「開いて、ないの…?」
「え?ああ、ドアの事か。どうだろうな。開けてみるか」
 麗に言われて取っ手に手を伸ばすと、思い切り引いてみる。するとキィィと掠れた音でドアが開くのと同時に、室内のどこかでガタンッ!と何かが床に落ちる音が響き渡った。
「な、なんだ?!」
 もしかして何かいるのか…?
 恐怖に煽られながらも恐る恐る足を踏み入れ、ドアが開きっぱなしの部屋へ壁を背にしながらゆっくりと忍び寄り、中を覗いてみる。
 中には畳八畳分くらいの決して広くはないが狭くもないスペースの中央に、真四角の大きなテーブルといくつかの椅子が置いてあり、周りにはタンスやら額縁やらが飾ったりしてあった。どうやらリビングのようだ。
 麗の手を引いて中に入ると、テーブルの側で倒れ込んでいる女性を発見し慌てて声をかける。
「おい!大丈夫か?!おいったら!!」
 何度も何度も揺すったり大声で叫ぶが、床に倒れている女性は泡を吹いたままピクピクと小刻みに動くだけだ。
「大丈夫…?」
 気兼ねた麗がゆっくりと顔を近づけて様子を伺う。
「いや、大丈夫じゃないだろ…とりあえず体だけでも起こしてッ」
「おい、てめえら!そこで何してやがる!!」
「?!!」
 な、なんだ?!
 
 声の方に振り向き怒声を浴びせた奴をジロッと睨みつけると、そこには悪魔のような顔をしたやつが仁王立ちで立っていた。
「ななな…なんだお前は?!!」
「それはこっちの台詞だてめえ!!どこから入ってきやがった!!!」
「ど、どこからって…ドアから……」
「嘘をつくな!ドアが開いてるわけねえだろ!!」
 いやいや、本当に開いていたんだって…っと伝えるが、まるで聞く耳持たずという感じで迫ってくる。
「とりあえずお、落ち着こう?な?」
「ああ?不法侵入してきたやつらに向かって、なんで俺が落ち着かなければいけないんだァ?おい、なんとか言ってみろよ!!」
「だから、それは誤解だって…」
「もうめんどくせぇ!!斬っちまえば解決だ!!!」
 そういうとこいつは大振りの鎌を取り出し、俺たちに向かって構えてきた。
 や、やるしかねえのか…
 覚悟を決め、金属バットを構えようとしたその時…隣にいた麗が「やめて」と小さく呟いた。
「麗…?」
「なんだ、貴様。先に斬り裂いて欲しいのか?」
「お、おいやめろ!そいつじゃなくて斬りかかるなら俺の方にッ」
「知るか!!それならまとめてぶった斬って……」
「やめなさいバカ!!!」
 鎌を振りかぶったと同時に、そんな声が聞こえたかと思うと目の前のそいつは背後にいた女性に殴られて頭を抱える。
 突然のことに呆気に取られていると、その女性の顔を見てさらに驚く。
「え…?あ、あんたさっきまで倒れていた人じゃ……」
「ん、ああ…確かにさっきまで倒れていたわね。全く、死ぬかと思ったわ。ごめんなさいね、このバカが失礼な事をして」
「あ、いえ……」
 先ほどまで倒れていたはずの女性はぺこりと謝ると、頭を抱えたそいつを引きずり外へ放り出す。
 ドサっと雑草の上に叩きつけられたそいつは「ちっ…またかよ……」と愚痴をこぼしながら俺たちの元へ戻って来た。
 そいつは納得のいかなさそうな顔で俺の事をギロリと睨みつけるが、また殴られてはたまらないと思ったのか大人しく椅子に腰掛ける。
 シーンとした静寂の中、どうしたらいいか分からずにいると、先ほどの女性が口を開く。
「さっきは本当にごめんなさいね。こいつ、居候のくせして態度がずば抜けて悪いのよ。話も聞かない上に1人で突っ走るし…」
「そ、そうなのか…まあ済んだことだしいいよ」
「あたしも…大丈夫」
「それなら良かったわ。あ、自己紹介がまだだったわね。私はサン。そして隣の超絶顔が悪いのが天照」
「顔が悪いとはなんだァ!!」
「何か文句でも?」
「…いや、なんでもねえ」
 自分の名前をサンと紹介した女性のゆっくりと上昇してゆく腕を見て、途端に天照が黙り込む。
 そうだ、俺達も自己紹介くらいはしないとな。
「俺はネロだ。そんで、こっちの女の子が…」
「……うらら」
「ネロ君に麗ちゃんだね。どこから来たかは分からないけど、随分と疲れていそうだし今晩は泊まっていくといいよ」
「え、本当か?!ありがとう!」
「ふふ、礼には及ばないわ」

 サンはくすっと笑いながらそう言うと、奥の扉に手をかけ部屋を出ていく。
 ちらりと横に視線を移すと、サンが部屋から出て行ったのを確認した天照がふぅー…っと息をついていた。
「全く、恐ろしい女だ…」
 やれやれと安堵の顔を浮かべる天照を見て、ふっと思いついた疑問を天照にぶつける。
「なあ、1つ気になることがあるんだけど」
「あ?なんだ?謝れって言いやがっても俺は絶対に謝らねえぞ」
「強情なやつだな…でもその事じゃないんだ」
「ならなんだよ」
「サンって…さっきまで床に倒れていたよな?あれってもしかして……お前がやったのか?」
「……」
 俺の質問を受けた天照は俺のことを2,3秒睨みつけた後、無言で目の前にあるキッチンに足を運ぶ。
 なぜ突然キッチンに向かったのか分からず首を傾げていると、天照は両手に何かを乗せて戻ってきた。
「おい、これって…」
「見てのとおり、ケーキだ」
 え…………け、ケーキ?この形が崩れまくり原型すら留めていない謎の固形物がケーキ…?!
 シンプルな白い小皿に乗せられてテーブルに置かれたそれは、とてもケーキとは言い難い姿をしていた。しかもご丁寧に2切れも。
 ま、まさか…
「これ、俺と麗の分か…?」
「そうだ」
「まさかとは思うが…これをサンに……?」
「食わせたな」
「それで……どうなった?」
「……お前のような勘のいいガキは嫌いだ」
 チクショウやっぱりそうか!!なんとなくそんな気はしてたよ!!!これ食って泡吹いてたんだな、あの人!!
 にしても、よくこれを食おうと思ったな…
「…ま、まあサンが倒れていた理由は分かったよ。でも俺達は別にケーキはいいかな…⁈」
 と言いかけて、カチャリとフォークを置く音が聞こえてきたので横へ振り向くと、一欠片分かけたケーキと真っ青に青ざめた麗の姿が目に飛び込んできた。
「う、麗?!!」
 ふらりと倒れかけた麗を間一髪支えるが、麗は完全に意識を失っていた。
 ど、どうして今の会話を聞いて食べようと思ったのか…というより、完全にもう毒殺レベルの品物だぞ…これは……
 とりあえず食べたくはないので下げてもらおうと思った矢先に、突然背後から口を開かされ得体の知れないものを突っ込まれると、目の前が真っ暗になった。

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「う……」
 ガンガンと鳴り響く痛みで目が覚める。
「あ、頭が痛い……」
 痛みは頭の中を駆け巡り、まるでキューで突かれたボールが反射するビリヤードのように、幾度も頭を打ち付ける。
 こんなに頭が痛むのは生まれて初めてかもしれない…は、吐き気までする。
 頭を抑え痛みに苦しんでいると、ドアの開く音と共にサンが俺の元に近寄ってくる。
「あ、起きた?大丈夫?」
「大丈夫…じゃないな。頭がガンガンする」
「そう…一度ならず二度までも失礼な事をして本当にごめんなさい。あのバカには一発キツイのを食らわせておいたから」
「……へ?」
「あなた、あのバカにケーキを食べさせられたのよ。背後から無理矢理」
 ケーキを…背後から……?食べさせ…そ、そんな毒を盛られたみたいな……感じで食べさせられた?あれを………?
 はぁーっと息を吐き頭を抱える。
 …なるほど、それならこの頭の痛みにも納得がいく。サンは泡吹いて倒れていたし、麗だって気絶を…麗……?
「う、麗は?!」
 そうだ、麗も確かあのケーキを食べて……!
「麗ちゃんなら心配ないわ。ネロ君の少し前に起きて、今は私の作ったご飯を食べているから」
「そ、そうか…それなら良かった……」
 麗に何かあったらと心配したが、どうやら問題ないみたいだ。いや、むしろ今も頭が痛い俺のが問題か……
「それじゃ、一応ネロ君の分も用意してあるから大丈夫そうならリビングに来てね。無理そうならまだ寝ててもいいけど…」
「いや、いくよ。ご飯は食べられるか分からないけど、これだけ頭が痛いんじゃ寝ていられないからな」
「…分かった。じゃあ私は先に行ってるね」
 サンはそう言うと、一足先に部屋から出て行った。
「とりあえずリビングにいくか…」
 ベットから降りてドアをくぐると、声がするほうに向かって歩き出す。真っ直ぐ突き当たりには最初に踏み込んだ玄関があり、左手の扉から声が聞こえてくる。
 ドアをガチャリと開き中に入ると、麗がテーブルの上の料理を黙々と食べている横で、サンが天照に向かって怒鳴っていた。
「な、なんだ…また何かやったのか…?」
「……ネロ。おはよう」
「麗!大丈夫だったか!頭とか痛くないか?!」
「うん、だいじょうぶ」
「それなら良かった…ところで何やってんだ、サン」
 麗の隣で散々怒声を響かせていたサンは俺の声にハッとすると、麗に「うるさくてごめんね」と謝り椅子に座る。
「えっと、これは…天照が悪いんだ。私は悪くない」
「だから俺は悪くねえって言ってんだろうが!!食いたいって言ったのはお前の妹だろ!!!」
「だからってあんなに食べ続けたらいつか体調を悪くするって言ってるのよ!ただでさえあの子に残された時間は少ないっていうのに……」
「妹?残された時間?本当に一体何の話をしているんだ…?」
 話がサッパリ見えてこず首を傾げる。二人の話を聞いて微動だにせずご飯を口に運び続けているところを見ると、麗も何も知らないようだ。というかちょっとは反応しないのか……?
「もういいわ…あなたに何を言っても聞かないことは知っていたもの。もう好きにすればいいわよ。でも私の研究の邪魔をする事だけは許さない。その時は…家からつまみ出す程度じゃ許さないからね……」
 殺気のこもったような、でも…泣きそうな震えた声でサンはそれだけ言うと、奥の部屋へと消えていった。

 部屋は静まり返り、ただ麗の食事を取る食器の音だけが鳴り響く。天照はドスッと床に腰を下ろすと、うつむいたままらしくない顔でジッと一点を見つめる。
 さっきまでの凶悪そうな顔に変わりはないが、その表情はどこか曇っていた。
「なあ…俺には今の状況がさっぱり分からないんだが、良ければ…教えてくれないか?」
 下を向く天照にそう問いかけると、天照はこちらをジロリと見つめて口を開く。
「あいつには…妹がいるんだよ」
「妹?」
「ああ…奥の部屋にあるベットで寝ていやがる。死にかけだけどな」
「死にかけ…?」
「そうだ。いつ死んでもおかしくない死に損ないだ」
 天照は続けて話を進める。

 この家にはサンの他にムーンという妹がいるらしく、姉妹は仲良く暮らしていたそうだ。
 しかしある時妹のムーンが不治の病にかかってしまい、ベットで寝たきりになってしまった。その病は体を徐々に溶かしてゆく厄介な病気なようで、夜な夜な激痛でうなされていたらしい。
 そこで姉のサンは妹を助けるため、必死に研究を繰り返し薬を作り始めた。しかし痛みを抑える薬を作ることはできたものの、未だ病を止める薬を作ることはできておらず…
 そんな時、ちょうど天照がこの世界に迷い込み姉妹の家に転がり込んだ。最初はキッツイ顔のせいで門前払いにされたらしいが、例のケーキを振る舞ったところ妹が大変気に入ったらしく、それ以降天照はここ一週間くらいずっと妹にケーキを食べさせるために居候をしていたとの事らしい。
「なるほどな…よくとまあ、あんなケーキを気にいる物好きもいたものだとツッコミたいところだが…で、なんで怒られてたんだ?妹にケーキを食べさせたのは今日が初めてじゃないんだろ?」
 俺の問いに天照は首を横に振る。
「確かにそうだが…サンの野郎が今日初めてケーキを食ったんだ。そしたらよくもあんな物をムーンに食べ続けさせやがったなと突っかかってきてな。逆ギレもいいところだ」
「はあ…そういうことか……大体状況は分かった」
 つまりどっちもどっちってことだな。あんな物をどんな味かも教えずに食べ続けさせていた天照も悪いし、知らなかったとはいえ今になって怒りだすサンもサンだ。
「とりあえずこのままってわけにもいかないし…謝りにいくぞ」
「ああ?!なんで俺が謝りにいかなきゃならねえんだ!!」
「いや、お前の気持ちも分からなくはないが…こういうのは早めに解決しておいた方がいいんだよ。どっちかが先に謝ってな」
「それならあいつが先に…」
「あー!もうめんどくさいな。いいからいくぞ!ほら!」

 俺は嫌そうな顔をする天照の手を無理やり掴むと、まだ食事を続ける麗を置いて奥の部屋へと続く扉の前に立ち、
「サン、入っていいか?」
と軽くノックをする。
 するとドアノブを開く音と共にサンが顔を出すが、俺の背後にいた天照を見てドアを閉め直そうとしたので
「あ、待った待った!」
 と咄嗟に手でドアを押さえる。
「なに、私は忙しいのだけど」
「えっと、そのだな…天照が謝りたいってよ」
「はっ?!んぐっ!!」
 文句を言いかけた天照の口を光の速度で抑えると、小声で「さっさと謝れ」と呟く。
 サンを前にしてますます嫌そうな顔を濃くする天照であったが、それよりも嫌そうな顔をしているサンを見て気負けしたのか口を開いた。
「……悪かったな」
 天照から出た素直な謝罪の言葉に、サンは一瞬驚いて口をぽっかりと開きつつも、目をそらしながら「わ、私も…言いすぎたわ……」と呟いた。
 やれやれ、こういうところは似ているというかなんというか…でもお互い謝れたようだな。
 ほっと胸をなでおろすと、部屋の隅のベットに目を向け…口を開く。
「もしかして、そこにいるのが…」
「私の妹だけど…まだ紹介してなかったわね……」
「いや、いい。天照から話は聞いたから」
 ゆっくりと彼女に近づき会釈をすると、俺の事をジッと見つめるムーンに対して柔らげに話しかける。
「俺の名前はネロ。ついさっきこの家に迷い込んでお前の姉さんにお世話になった。もう一人麗って女の子もいるんだが…まあ、よろしく」
 俺の自己紹介を聞いたムーンは少し咳き込みをしながら、掠れた声で
「わ…わたし、ムーン……こんな…だけど……よろしく…」
 とだけ答えて、口を閉じる。
 そのやりとりを見ていたサンが
「ムーン、辛いならもう寝ていていいのよ?あとの事は私がやっておくから……」
 と言うと、
「おねがい…おねえ…ちゃん……」
 …っと、サンの言葉に身を委ねムーンはまぶたを下ろし眠りについた。
「眠ったわね…とりあえず寝ている間はうなされる事もないから安心だわ…」
「成り行きで会う事になってしまったが、会って大丈夫だったか?」
 そんな俺の質問にサンは首を縦に振ると、寝ているムーンの布団を少しだけ剥がしその姿に俺はギョッとする。
 ムーンの下半身はドロドロに溶けており、足に至っては完全に溶けて液状化していた。
 隣にいた天照も布団の下の姿を見たのは初めてだったのか、驚愕の表情でムーンの事を見つめる。
 俺たちが呆気に取られていると、サンがそっと布団をかけ直し悲しそうな顔で口を開く。
「これが…今のこの子の状態なの。本来なら食事だってもう取れる体ではないのに、どうして……」
 サンの言葉に何も返せず、ただ呆然と突っ立つことしかできない。
 やがて重い重い空気が漂い始めた頃、天照は何も言わずに部屋から出て行った……

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 それから3日後。
 俺と麗は空間に空いた穴を中々見つける事ができず、今もサンの家にお世話になっていた。
 その間も天照はケーキを焼き続け、依然としてムーンの元に運んでは無言で部屋を後にする日々を繰り返していた。
 天照はムーンの姿を見て、あの時何を思ったのだろうか。可哀想だなっと思ったのかも知れないし、あいつの事だからやっぱり死に損ないか…っと同情のカケラもない事を思ったのかも知れない。
 どちらにせよケーキを運び続けるところを見る限り、見捨てたりしたわけではなさそうで、そこは少し安心した。
 麗はと言うと、正直なところ天照以上に何を感じ取ったのか分からない。なぜかって…あの後俺が麗にムーンの事を話すと、麗は部屋に赴き何の躊躇もなしにムーンの溶けた姿を覗き見たのだが、その後麗は一ミリの表情の変化も見せずにリビングに戻ると、食事の続きを取り始めたからだ。
 あれだけの歳の女の子なら相当図太い子でも、必ず何かしらの反応を起こしてもいいはずなのに…

「さてと、今日も空間の穴を探しに行くか…」
 っと、椅子から立ち上がろうとした…その時だった。
 突然背後から叫び声が響き渡り、俺は大急ぎで声のする部屋のドアへと手をかける。
 中に入ると、薄暗い部屋の中でサンがうずくまっている姿が目に映った。
「どうした?!何かあったか!!」
 俺はサンに近づき声をかけると、震えるサンの背中に手を伸ばす。すると、サンは俺の方へと顔を上げるが…その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「お、おい…本当にどうしたんだよ。まさか……」
 嫌な予感がしてムーンのいたベットの上へと視線を移すと…そこにはムーンの姿はなく、あるのはドロドロした液体だけだった。
 俺はその光景を見て…全てを察してしまった。ムーンは…
「そんな……」
 息を呑み、今だ泣き続けるサンを何も言わずに抱きしめる。
「おい!どうしたァ!!」
「…なにか、あった……?」
 先ほどのサンの声を聞いた天照と麗がやや遅れて部屋に飛び込んでくると、ベットの上のものを見て数秒で状況を把握した仕草を見せる。
 麗は何も言わずにジッと俺とサンの事を見つめるだけだったが、天照は抱えていた泡立て器の入ったボールをゴトリと落とした。
 ここにいる誰もが、受け入れたくない現実を認めるしかなかった。ムーンが…死んだという現実を……

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「なあ、天照」
「…なんだ」
「サンは…これからどうするんだろうか。一人でこの家に住み続けるのかな」
「知るか、そんなもん。それはあいつが勝手に決める事だ。俺には関係ないな」
「だ、だけどさ!俺たちはあいつに世話になったし、何かできることがあれば…!」
「…バカか、お前は。あいつは決められたあらすじに縛られる本の登場人物にすぎん。どうせこうなると最初から運命付けられているなら、知らんぷりしてさっさとここから立ち去りゃいいんだ」
「……血も涙もないやつだ」
 同情のかけらもない言葉を口にする天照に対して、そんな言葉を返す。
 あれからあっという間に時間が経ち、気がつけばお星様が顔を出す時間になっていた。
 サンはかなり取り乱していたが、なんとか落ち着かせることができた。とは言えそう簡単に気持ちの整理がつくわけもなく、しばらく一人にしてくれと言い放ったあと部屋に閉じこもりっぱなしだ。
 おそらく数日は悲しみに暮れるのだろう。俺がもし弟のセロを失ったらと思うと…その悲しみは想像もできない。
「…とりあえず寝るか。そういえば天照、お前はこの後どうするんだ?まだこの家に残るのか?」
「俺か?俺は……ん、おい!どこ行くんだあいつ」
「…へ?」

 何かを見つけたらしい天照の指差す方向を見てみると、部屋にいたはずのサンがふらふらと森の中へと消えてゆく姿を目撃する。
 こんな時間にどこに行くんだ…?
 俺と天照は互いに頷くと、家の屋根から飛び降りてこっそりと後をつける。
 相変わらずうざったい雑草を払い避けながら歩みを進めると、突如目の前が真っ白に輝きあまりの明るさに目を瞑る。
「な、なんだ今の光は?!」
 目を開き光の放たれた方へ走ると、サンが不自然な形でなぎ倒された雑草の上で倒れていた。
「サン!!!」
 俺はサンの名前を叫びながら彼女に近づくと、突然右頬に強烈な痛みが走るのと同時に宙へと放り出される。
「ぐあっ!!!」
「おい、何いきなり吹っ飛んできてんだお前!危ねえだろうが!!」
 天照の怒声に飛びかけた意識が反応して、なんとか起き上がる。
「なんだ、今のは…」
 どうしていきなり吹っ飛ばされたんだ?それにこの痛みは一体…?
 不可解なように思えた疑問であったが、顔を上げた瞬間その謎は一瞬にして解けた。
「サン…なのか?」
 目の前にいたそれはサンにそっくりの姿をしていたが…ドス黒いオーラと飲み込まれてしまいそうなほどに底が見えないローブのようなものを纏っていたそいつは、まるで…魔女か悪魔のようだった。
 そいつはゆっくりと俺たちの方に近づきながら、聞き覚えのある声で呟き出す。
「私は…妹がいればそれで、いい……その願いを叶えてくれるなら…私は〝よる〟とだって契約する……」
「よる…?なんの話だ!」
「言ったでしょう…?私の邪魔をするなら…その時は家から追い出すだけじゃ済まさないって……」
「おい、まさか…」
「殺す!!!!」
 地を蹴り飛び込んでくる音を聞いて咄嗟にガードの姿勢を取る。で、でもガードをするのはいいけど、金属バットは家に置いてきてしまったしスケボーも使い物にならない!どどどどうしよう?!!!
「どいてな」
 そんなこんなで俺がパニクっていると、天照が俺の前に立ち球体二人分の大鎌を手に構え、真っ直ぐに突っ込んできたサンの拳を蹴りで弾き飛ばす。
「あの世で、あいつによろしくな」
 そう言うと大鎌を大きく振りかぶり…サンの体をドス黒いオーラと共に真っ二つに斬り裂いた。
 嘘だろ…と目を疑いつつ天照の元に近づくと、サンは邪悪を帯びた笑みを浮かべながら……死んでいた。
「どうしてこんな事に…」
 俺は助かったいう安堵の気持ちと、サンが死んでしまった悲しみが入り混じって膝をつく。
 何も言えずにただサンの死体を見つめていると、鎌を地面に突き刺しながら天照が声を出す。
「…哀れだな。よもや悪魔に魂を売るとは」
「魂を…売る?」
 俺の言葉に天照が頷く。
「ああなっちまったら…もう助かる道はねえ。自分自身すら見失って、例え目的を果たしたとしても朽ち果てるだけだ」
 ふぅーっと息をついて天照は座り込むと、空を見上げる。
 サン…どうして一人で悩んで一人で突っ走ったんだ……どうしてそんな選択を………

「そういやお前の質問に対する答えがまだだったな」
 サンの考えていたことが分からず俯いていると、天照が思い出したかのように口を開く。
「俺は…お前たちについて行く事にした。そろそろ元の世界に戻らねえと、アディス共がうるせえだろうからな」
「…そうか。というかお前に帰りを待つ人がいたんだな」
「ああ?そいつは違えな。あいつらが勝手に待ってるだけだ」
 天照はそんな淡白な言葉を吐きつつも、ニッと笑う。
「そういうことで、さっさと行くなら行こうぜ。あの何考えてんだか分からねえ童女を回収してな」
「あ、ちょっと待った」
「あ?まだ何かあんのかよ」
「ああ…もう一つ聞きたいことがあった」
 天照と出会ってから、今になってまでずっと気になっていた事を思い出し、天照に問いかける。
「お前…本当はこの姉妹の事をどう思っていたんだ?助けようって…気持ちがあったんじゃ……?」
 俺の質問を天照は鼻で笑うと、サンの死体を見つめながら
「…別に。俺はただ、俺のケーキを食いてえってやつがいたから、あの姉妹といただけだ」
 と答えた。

つづく…!

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