【捏造SS】ノスタルジア

「傘を落としてしまってね」
往時の有名マジシャン・ミアティスははにかんでそう言った。「あれは僕の―…最高のマジックだったんだ」そう言ってあさっての方向を向く彼に、もう公演はしないのですか、と聞くと、「そうだね」とそっけなく返される。「僕の夢は、完全に叶えられてしまったからね」
それはどういう意味なんですか、と問いただすと、彼はこちらを向いて「そんなことより、クレセントサーカスを一度は見なよ」とはぐらかす。いや私は彼のマジックが、稀代のマジシャンの術が見たいのだ。らちが明かない会話。そのうち彼が「どうしてもというなら、今見せてあげよう」と手を広げた。
「それでは、今宵最大のショーをお見せしましょう。さて、皆さん、後ろの月にはお気づきかな?」その手に気を取られている隙に、彼の後ろに背丈の倍ほどの半月が現れた。幻覚だろうか?一体どんな”仕掛け”なんだろう。ああ、これだからミアティスは!
そして彼は月に手をかけ、驚くことにその中へ足を入れたのだ。「種も仕掛けも、ございません。それでは皆様、ごきげんよう」そのまま彼は月の中に消え、月も薄闇に掻き消えてしまった。

・・・

ミアティスの最高傑作は人知れず…いや、大多数の観衆を魅了し”つづけている”。ある日彼は愛用の傘を落とした。すぐに探したが見つからず、いつからか聞こえ始めたのは傘の形をした不思議なサーカス劇場の評判。
ミアティスはその外見を見て驚いた。失くした傘とそっくりなのだ。一体どういうことなのか、それは彼自身にもわからない、”種も仕掛けもないマジック”だった。劇場に入って彼はそれを確信した。
ノスタルジア。場内全てが懐かしい。あの観客席は第●回公演の××劇場で見たものだ、あの照明は▼▼▼ホールのものだ…。ここには彼の記憶がつぎ込まれている。そんなことを考えていると、開演の合図が鳴った。それは彼がマジシャンを生業としてから、初めての観劇であった。素晴らしい体験に、昔々、初めてマジックショーを見て感動した幼い頃を思い出す。客として観る、とはこんなにも楽しいことだったと。
そして彼はマジシャンを辞めた。
今では趣味でほそぼそと手品をやるのみで、時間のほとんどを観劇に費やす。クレセントサーカスの曲芸に目を輝かせ、手を叩き、ノスタルジアに今日も浸る。

end.

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4件のフィードバック

  1. より:

    この解釈好きです……。なんだか不思議で夢みたいな世界観が、クレセントサーカスに合っていますね!
    ミアティスさんが手品を辞めた理由がこうだったら幻想的で素敵だなあ、と夢想してしまいます。

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